19 10/28(木) 

三角フラスコ(劇団名)『オレンジ・ブルース』 アトリエ劇研(京都)

娘のさきと一緒だったので、一番前に座った。上手の側面上のステンドグラスが良く見える。私たちも教会に迷い込んだように包まれた。

ここは、古い(3つの時間が進行するので、廃墟となっている時もある)教会の、玄関ロビー。

真ん中奧が教会の玄関正面で、下手が裏口、奧の下手側が礼拝堂へ続く廊下。

舞台美術:林詩乃。

アトリエ劇研。19:34〜20:57。

三角フラスコ第14回公演『オレンジ・ブルース』〜始まりと終わりが同じに見える かわいた世界に音楽が聞こえた〜。

作/演出:花田明子。

公演前に客電が暗くなったりする。ここが古いからか、とも思ったが演出だったかも知れない。

芝居の構成は、いつもの三角フラスコ(劇団名)とかなり様子が違う(これまでは、自分たちが何気なく経験していそうな等身大風の生活を絶妙に料理するのが多かったから)。

まず、つい最近の東海村の臨界事件を想起させる、地域が壊滅するまでにいたる公害事件(初めは水俣病のような感じだったが)を取り上げている。坂手洋二が取り上げるタイプの深刻な素材。

また、どろどろした政治(町長選挙、企業と住人との関係)の対立もある。それで、この前の青年団の芝居「海よりも長い夜」をちょい連想させる。

さらに、近未来の医者や測定会社の人たちを描くSFであり、3つの時間(196×年、200×年、それに比較的比重の少ない20××年)が、組合わさって描かれるから、ジャブジャブサーキット=はせひろいち的なテーマでもある(もちろん、20××年から回顧される優しい廃墟からの出発は、ジャブジャブサーキットの「投げ出された未来」の景色とは大きく様相を異にする)。

でも、そこは三角フラスコ。社会派の深刻な告発劇や、悲壮感の伴う黙示録がこの場で展開するわけではない。

それに、恋愛中心ではなく、仄かな恋心と同僚愛と親子愛=憎、姉のように慕う女の子の心、隣人愛=近所づきあいなどが、実にバランス良く組合わさって。

健康カードが「オレンジ」(生まれたときから薬を飲む身体)。爆発してまちは廃墟となるのだが、その爆発のあとの灰が「オレンジ」色だった。というところから、「オレンジ」的世界が現れる。そういう出来事をめぐるブルース、というのがとりあえずの標題「オレンジブルース」に対する雑考。

私が、今年のベスト5になるかもと言うと、娘さきが、今までで一番よかったお芝居だったと言う。
一瞬たりとも退屈しなかったし、どんどん引き込まれたらしい。
よく考えるとこんがらがる複雑な関係もないことはないのだが、テンポはいいし、面白い趣向もあるし、中高生1000円、と優遇してくれているのだから、これは10代の人たちに是非見せたい。
できれば話す機会が少なくなっている親とティーンエイジャーがこれを観れば、終わって会話が途絶えることがない(体験ずみ)。

唯一残念だったのは、味のある段塚崇子が俳優として出ていなかったことで、その分、安井きよ子が三役もして(花田明子と高田祐二もそうだけど)、中心になってがんばっていた。ちょっとまだ初日なので彼女もセリフを噛んではいたが。

役者として私が一番感心したのは、高田祐二。

196×年における牧師役の時には、肉体的にはひ弱そうだったが、「大きな力」に動かされているという信念が目元にはっきりでていた。妻(花田)や娘(安井)に対しては、どこかはっきりしない夫=父ではあったが。

200×年。奇病の原因らしい「施設」が既に立地して、大気汚染がひどいらしい。
その調査に来たのがクリーンリサーチの社員井上(高田祐二)たち。当の「施設」の会社ニュークリーンの子会社だから、数字は住人説得用に変えなければいけないし、住人からは石を投げられ、はっきり言って情けない仕事をしている。

この井上役が牧師役の高田とくっきり顔つきが分かれていて、でも、ある愛情が芽生えたとき、そこに共通する確かな力が微かに生まれる。その弱い男の中の意思がとてもよく伝わり気持ちいい。

196×年、この施設立地に反対して町長に立候補していた牧師も、誘致を進めていた町長の逮捕(汚職事件か)によって、図らずも町長になっていた。

しかし、その彼もいまは奇病の第1号死亡者になってしまう。遺言でその死体は別の地域の病院で検査され、安井きよ子の演じる医師川口が、ニュークリーンの妨害工作をのがれて厚生省へ訴える必要はなくなる。

この川口は、彼女が診断しているここの奇病(昔は若年性アルツハイマーと思われていた)と同じ症状を彼女自身も発病している疑いがある。
つまり、記憶が途切れ、この教会で起きた過去のシーンに乗り移ったりするのだが、こちらが心配するほどの破局をこの舞台上では描いてはいない。
逆に井上が川口を、裏口から月を視るために庭に誘うほのかな恋の場面が、暖かく心に残る。

井上が、川口のように多くの知らない人たちを救うことと、自分の良く知っている二人の生活を救うことの狭間で、どうしようもなく戸惑うシーンについて、さきが、私もここは一緒に悩んで考えた、と言っていた。

ここでは、二人を中心に書いたが、もちろん、花田明子の、牧師の妻リツコ役、井上の同僚役、20××年の廃墟地域の住人(市役所職員?)役は、落ちついた好演。安井きよ子をもり立てようとしているのが感じられる。

高速道路でおばあさんや補助輪つき自転車、バスケット坊やが追いかけてくる話は味な趣向。それが196×年の人たちにダブり彼らがまた奇病の犠牲者であったことまで繋がってくる。鮮やかだ。

久野弘治は、井上の同僚役でも、リツコの弟サンタロウ役でも、同じように人はいいが頼りない役柄。ラストが彼の三角牛乳を飲むシーンだったのは驚き。

それに初めてみたような、3人の役者。

広兼朋は、サンタロウの子どもユキを演じる。「星の王国」というプラネタリウムに行き「星の王子さま」をお姉さんマキ(安井きよ子)に読んでもらう役。それに、200×年ではクリーンリサーチのバイトの男の子が好きな看護婦を、はつらつと。

その200×年のバイト役と、196×年では、警察に捕まる町長のぐうたら(実はなかなか見通している)息子になるのが、西村聖記。三角フラスコにはいままでいないタイプなのでこれから楽しみ。まだ、得体の知れない感じの岡部芳則。

そして、隠れた役者は、教会それ自身。とりわけ、教会の礼拝堂にあるらしい当時の人たちを描いた絵画と、三時代にわたって鳴る教会の鐘の音。

何はともあれ、花田明子と三角フラスコは、これから京都の期待の星から、MONOなどとともに、日本の「軽やぐ演劇」シーン(関西で言うと「スクエア」「ベトナムからの笑い声」「劇団衛星」「転球劇場」。関東ではどこだろう)を作っていくキーになっていくことは確実だ。

「軽やかだ」「軽快だ」なんていっても、「薄い幕に覆われた」(劇団八時半「黒い空とふたりと」より)リアルな実感のない現代にあることを踏まえたものだから、ウェルメイドなハピーエンドはとっくに卒業しているのは言うまでもなく。


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