Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Shioda Akihiko's Films

105.

6/22(木)

塩田明彦監督『月光の囁き』&『どこまでもいこう』滋賀会館シネマホール

1961年、京都府生まれ。立教大学在学中から黒沢清、万田邦敏らとともに自主映画を製作・・・塩田明彦監督の略歴を見ると、新人というには豊富な経歴の持ち主で、脚本家としての実績のほか撮影、照明など多彩な才能を持っている監督だということが分かる。

その塩田明彦監督の長編第1作『月光の囁き』(1999年、100分)と第2作『どこまでもいこう』(1999年、75分)が続けて、それも大人1400円(私はみなみ会館会員なので1200円)見れるのだから、滋賀会館シネマホールはいいなあと出かけて行く。と、お客は遅れて背のすらっとした若い女性が遅れて入ってやっと僕入れて4人。

観るのに難しい小理屈もいらないし、ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭を受賞しているので、『月光の囁き』には幻想的な超現実部分があるかな、と思ったりしたがそれもなくて、見応えのある映画体験だった。それに舞台は高校と小学校であり、自分にとってはかなり過去の世界ではあったが、ノスタルジーモードに入ることも、いまどきの子どもは!モードにも入らずに、自分自身のこととしてドキドキしながら楽しめたのもさすがな物語構成とテンポのよさだと思う。

まず、『月光の囁き』Moonlight Whispers〜愛をありがとう〜は、原作が喜国雅彦のシリアス漫画。谷崎潤一郎的世界を踏まえた原作の舞台は高松だったが、この映画では関西弁ベースの田舎語尾「じゃ」が交じる「曖昧な西、瀬戸内あたり」という設定。川辺の蔵のある歩道が倉敷かなと思ったりしたけど、撮影は佐原の小野川沿いだったという。

また、緑一面の中の滝(東伊豆の万城の滝で撮影)が圧倒的な「川上温泉」は中伊豆の吉奈温泉での撮影。ちょっと映画ロケ地旅行がしたくなるぐらいに映像が後半になるにつれゴージャスになる(滝の水をほとんどモノクロに撮した後に圧倒的な緑の絨毯を見せる辺りぐっときた)。

さて、ヒロイン北原紗月(つぐみ)と同級生の日高拓也(水橋研二)。17歳の二人の剣道シーンから始まる。まるで爽やかな青春ドラマだ。でも紗月に面を入れられるのが快感、というところから、普通の恋愛では満たされない主人公拓也の「本当の自分」の愛し方がほのみえる。

足中心の「紗月フェチ」でありのぞき趣味、マゾヒズムの拓也ではあるが、紗月に彼女のトイレ音の録音テープを見つけられるまでは、今時珍しい純情な恋愛の進展がほのぼのと続いていく。

そして、最後まで、月光の悪戯?というほのめかしはあるとしても、等身大の男女の不器用な手探りからは逸脱せず、従って異常性愛映画の形相は見せずにまっすぐに二人の心を見つめて進んでいく。

もちろん、紗月が拓也を飼い犬のように扱ったり(汚れた足を嘗めさせたりする)、それは単なる「いじめ」?というシーンももちろんある。「変態」と罵り足蹴にする快感が自分をもいつしか「変態」的な気持ちを目覚めさせるわけだし、覗かれながらのセックスで燃える紗月にそういう(拓也を傷つけることによる快感の)傾向がもともとないとは言えないだろう。

でも、特別の人たちという割り切りではなく、何が「ふつうなの?」という問いかけにおいて「まあまあ」にしないだけだ、ということが伝わる映画だと思う。題名の中の「囁」という漢字は、それにしてもすごい文字だ。口が一つに耳が三つ。真っ暗な押入で耳だけになって聴く拓也の口は噤まされ。拓也の声なき言葉が紗月の耳に聴こえるまで・・

「あんたが死ねばうまくいくんじゃ」「紗月が死ねいうんやったら俺は死ぬ」。滝のクライマックスのあと、エピローグ的なラストの病院での「コーラがええ」「ジンジャエールがええ」の紗月の女王様あい変わらずなやりとり、「マルケンも誘って3人で遊びに行こう」(紗月)にいたって、どこかふっきれた感じが清々しい。でも紗月の眼帯は何だったのだろう。

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一方、『どこまでもいこう』〜自分が自分になる季節、Don't Look Back〜は、10歳の少年アキラの話だ。脚本も塩田明彦監督。

アキラは光一といつもつるんで、悪戯が激しい。軽快な小太鼓がスピーディーなテンポを作っている。京王沿線の団地群。高圧線の鉄塔があったり、立ち入り禁止の鉄橋があったり。でも武蔵野の川などは周囲に交じった開放的な場所だし、子どもたちは無個性な団地群を縫いながら動き回っている。

今朝もヤクルトおばさんの自転車から箱ごとヤクルトを1週間分盗むことに成功する。川辺に落ちた鞄(盗まれたものだ)からお金を抜き出し(新聞にミズスマシを観ている自然少年、と出るから笑える)、二人で海辺に遊びに行ったりしている。

5年生になってアキラと光一は別々のクラスになった。廊下で立たされ一緒になることもあったけれど。アキラのクラスに大人しい野村君がいた。金がない放課後、野村のアパートに行きおやつを食べることにした。友達のいない野村の母はあたふた。でも亡霊のようにやつれている。離婚したのだ。アキラらが驚いたのは野村のプラモ。戦車の色は野戦にあってリアルに空気を作っている。

一人で池の絵を描いている野村。お菓子を渡すアキラ。あとで分かることだけれどその題名は「どこまでもいこう」。男の子二人が池の周りを走っている絵ができあがっていた。この二人は、野村とアキラなのか、アキラと光一なのか。はたまた、最近付き合いだした光一と煙草を吸う転校生なのか。

野村は誕生日にアキラを誘った。野村の母はケーキをテーブルに並べいまかいまかと待ち受けている。でも、アキラは光一が待っていた。何か用事があるんじゃなかったのか、いいんだよ。すっぽかされた野村が、アキラのアパートのドアの前に座っていた。引っ越すことになったんだ、お父さんと暮らすから。

野村が戦車のプラモとスプレーをアキラに渡す。アキラは自分が開発した「花火仕掛けつき紙飛行機」を一緒に窓から飛ばす。飛ばす向こうには、同じクラスでアキラが気になる珠代が住んでいる部屋が見える。

野村が言う、珠代が手を振っているよ。アキラは隠れていたのだ。何だか、野村のお陰で珠代と交流できたような気になる。

朝、先生が野村と野村のお母さんが事故で亡くなったと告げる。お通夜に行く親しい友達を探す。誰もいない。珠代ともう一人女の子だけが手を挙げる。珠代に見られているのに、アキラはうつぶいたままだ。無理心中だった、という噂が流れる。野村を悪く言うクラスメートをとことんとっちめるアキラ。

「史上最大の作戦」が鍵盤ハーモニカ合奏で珠代らによって演奏されていた。この映画ではいつもこれが鳴り口ずさまれる。珠代がアキラのそばに座って、赤とピンクの小さなグリコを横に置く。アキラは、珠代が去った後、タタタ、タタタタと行進して飛び上がる。その時、空中で癇癪玉が一つ割れる。パン!

男子ってばかね。女子ってこの頃は何をしているのだろう?女子って分からない、いつまでたっても。アキラも珠代の部屋を双眼鏡で覗いていた。珠代が「月光の囁き」の紗月になり、アキラが拓也になる、とでも言うように。珠代のまだ直線的な長く伸びる脚もそういえば大事に撮してあった。


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