Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Short Solo Works-1

242.
7/10(火)
丹野賢一+山田うん《SSW〜Short Solo Works〜》TORII HALL(1日目)

丹野賢一は麻薬だ。あとを引く。大脳皮質を通り越して脳幹とか小脳、海馬、脳漿とかに作用する。「海馬」という部分は長期記憶の倉庫だそうだ。自分の生まれる直後の記憶、あるいはもっと前の・・
目が霞んで耳がつんざかれているのに頭蓋骨の裏側の風景が見えるなんて錯覚させられる。やけにハイになったり偉そうなメールを出したりしてしまう。人と挨拶したりするのが極端に億劫になる。

山田うんを初めて経験した。これは大脳皮質に来る。右脳とか左脳とかいつも使っているはずのところなのに、どこか微妙に刺激場所が違うように感じる。同じなのに触られ方が違うのだ。左脳と右脳とに一度にタッチされているので、何だか変にクールになってくるし、思考する場所でぞくぞくと皮膚感覚を覚え、触覚なのに論理構造を積み上げることができると思ってしまう。

19:38〜20:11。前半が終わりここで休憩。20:28〜21:06。後半も10分ぐらいの作品が3つ、今度は丹野賢一から始まり山田うんと交互に公演される。
トリイホール、dance box協力公演、丹野賢一+山田うん 合同ソロプロジェクト《SSW〜Short Solo Works〜》。

この予想もつかなかったコンビによるパフォーマンスは、札幌の琴似日食倉庫コンカリーニョを皮切りに、7/4には沖縄の大地アトリエ(浦添)へびゅーんと日本を端から端へと飛び、大阪難波が3つめの会場。8月には愛知県芸術劇場小ホール、9月に、OMS(松井さんに京都橘女子大学コンテストチラシを渡す、もちろんトリイホールへも)、アサヒスクエアA(浅草)、仙台メディアテークと全国を巡回する。

大谷さんが終わった後短いトークのときに言っていたが、よくあるコラボレーションではなく、それぞれのソロを交互に挟むという新しい形になっていて、沖縄の時とは違う作品がここでも披露されている。でも、前半が丹野で後半がうんというのではないこの交互の挟み込み自身が、重要な効用を客席に及ぼしているのは間違いない。

つまり、私の場合は、脳内刺激の交互性だ。10分ごとに交代すつことによって与えられる刺激が、程良くランダムに撹拌されたのだと思う。
そうだ、チーズとハムが交互に入ったクラブサンドを食べたような、そんな感じかな。
休憩の時に冷房が入ってほっとする、休憩はレタスかなにかの新鮮野菜。

まずはゴーダチーズ、山田うん「11月11日」。トリイホールの入り口から一人の女性がスーパーの篭を下げて入ってくる。その篭には10個のカセット。客席の階段に置いていく。客席の前や反対の方へも。ショートカット。少女と少年がまだ未分離の姿。黒い肩からかけている鞄には何が入っているのだろう(明日判明する)。

カセットから、中国語か何かのレッスンをする男の声が順次漏れてくる。時々日本語も混じってそれがどういう音の採取かよくは分からない。当日パンフを見ると音楽・演奏/足立智美って書いてあるから、音響卓には足立さんがいることに気づけばよかったが、下手の一番端だったこともあり、彼が東京の人って知っていたから本人が演奏しているとは思いもつかなかった(翌日、彼に終わってから呼び止められてやっとわかったという次第)。

すごく微細な指や腕を使う女性だ。透明感と健やかに伸びた足。器械体操や新体操を小さいときにしていたという。なりげない仕草は優雅なのだが、女性の媚態やフェロモンをまるで封じ込めたなかでの、モデラートな神経のかく乱がそっと匂ってくる、そんなダンス。
あっ、小鳥とともに消えてしまった。うん!

次に生ハム。丹野賢一「014-SCAR」。床には2つの白い線が引かれているのだが、前の方の線をこするような彼らしくない「いじいじ」しているような前屈みのシーンから始まる。虫をなぞるように自分の指も虫のように歩いている。気づくと学校の上履きを片一方しか履いていない。どうしたの、ぼく?

戦後焼け跡に取り残された野宿少年のような出で立ち(衣装/流川リコ、メイク/Viva-Chang)。端から見ていたので膝の赤い傷しかはじめ気づかず、練習が大変で丹野さん、きっと足を擦りむいたのね、なんて思っていた。

徐々に明らかにされる額や頬、腕に脚に開かれた傷口。こびりついた鮮血。目を剥く。彼の寄った目玉が、もう顔から飛び出しそうだ。眼球のなかの幾線もの毛細血管。

肉体の皮膚を剥くという衣装、いやこれはメイクさんの仕事なのだろうか?どちらが担当なのかさえ分からない。松本じろ(鋼鉄児童舎)の音(もちろん懐かしい風景を作るメロディも含まれるが)は、無闇と鳴っているようで実はどこか優しい轟音。
丹野少年は、音や環境にただ翻弄されて立ち揺れているように見える。けんけんで回る。逃げまどう、空襲の記憶?もっといまの少年たちの荒廃、切り裂きジャックの無感動へのアンチテーゼ?

パーティに並ぶようなチーズ。山田うん「7月7日」。七夕の日付とどんな風に関係するのかな。音は、足立智美がお風呂に入っている音。一方、うんは黒いぴたっとしたスーツ。丸の内オフィスレディね。脳天気な風呂の男の鼻歌と、彼女の神経質なスーツの袖チェック。

なんだろう、袖の糸が解(ほつ)れているのだろうか。手首が異常に早く廻り動いてこれはもうダンスじゃないか!。ゆっくりしなっていく腰。ぴたっとしたビジネス制服からあふれ出る肉体。一番彫刻に近いダンサーかも知れない。うん!うん!!

休憩のレタス。

透き通ったロースハム。蜻蛉(かげろう)の化け物。丹野賢一「013-FIN」。赤いライトの後、緑の残像(補光)がずっと残っていて、それを白い彼の衣装に亀裂のような緑線を描いている(私だけの視覚効果として)。観衆の神経装置を錯乱するようなパフォーマンスっていうことも何だか、怖そうだがあってもいいなと思ってしまう経験だった。

拡声器に息だけを入れて、その息を拡大する。照明との連動。赤い光とロックのリズムがハイな気分を誘う。前半よりも体が楽にいられるのは、その音楽のせいだろうか。

カマンベール。山田うん「8月15日」。すっきりした裸体。ウサギの絵がかわいいパンツ。満月っていうことらしい。舞踏とは別にこんなにナチュラルな衣装としての上半身を見たことがない。つまり、着ているものを脱ぐという行為をまったく想像させない裸身なのだ。これで動くのが一番軽快で優雅でチャーミングでかわいいっていうこと。うん!うん!!うん!!!まるで単純な理由。

蚊が飛んできたね。錯乱はまったくなしという錯乱。ショパンのピアノ、懐かしい。構成的には再現する音楽があり、ばらばらではない構築されたダンスのようにも思われる。
素早い動き、シャープなライン。でも、初めに書いたような大脳皮質のとりわけ左脳への刺激は少なくなって、「つぎつぎに起きる動き」の新鮮なつながりへの素直な追従に身を任せていた。それは、ダンスに陶酔させてもらう時特有のものだ。

鋼鉄のハム。丹野賢一「015-PETAL」。腕後ろに組んで、なんの演出なくやってくる。上向きに歩く。尊大なチンピラ?虚仮威し?
後ろへ単純な後退。壁の黒い幕へ追突。衝突と合わせて照明が変化する(照明もやはり過剰さを共有している)。単純な尊大な前進と、素早い後退、ぶつかり、その繰り返し。

横へと倒れる。そのまま鉄が錆びて朽ち果てるのかと思ったら、また立ち上がり転ぶ。客席の方への指さし。おまえらなあ〜。挑発なのか何なのか。
入り口へ。さっと去る。いなくなる。いままでのことは全く忘れてしまう。いやそれは大脳皮質のところの短期記憶が消去されるだけだ。


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