Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》TAKENOUCHI Atsushi-Tanagokoro
第6回OSAKA DANCE EXPERIENCE後期、竹の内淳/じねん舞踏公演“たなごころ”。トリイホールは超満員。踊り手の7人と2人の演奏者(ひきたま、米良謙介)がステージを占めるので、客席を大きく3方向にとったりできないためだ。より大きな舞台でも上演可能なように創られている。19:38〜21:16。
即興ではなくきちんと竹の内によって構成された踊り。
100分近い舞踊公演。このような舞台は山海塾でピリオドを打ってしまって(いつも途中で気持ちよくなって寝てしまう)もうそんなに発展性はないのでは?と思ってもいたが、いやまてよと、途中から考え直すようになっていた。客席は、年配の男女が若い人たちに混じり、バランスのよい構成になっている。
踊り手の5人はほぼ対等に演出を施されつつ、しかも彼/彼女の個の存在はきちんと浮かび上がっている(竹の内自身は出来るだけ抑えて踊っているように見えた)。さらにもっと深いところからその個的な在りようは揺さぶられていき、何かにつながろうとしている、そんなダンスだった。
光開き/藤原康弘、音まとめ/秘魔神。衣つくり/人長彰志・吉屋育子・西野なおみ。冒頭の上からの光や、BGMから続く(フランス語が冒頭挟まれつつ)女声の懐かしい歌声などの音響は言うまでもなくステキだった。それに、衣装も初めと最後に黒ずくめに戻る(帯に赤い刺繍があったりする)が、少年少女の衣がラストは混じったりして変化に富んでいる。
冒頭。
6人の6つの手のひらが上からの光にあたって揺らめく。浮遊し、探しあう手たち。でも触れあうと、ぴくんと離れ、それはクラゲが海に漂っているような、アメンボが池で遊んでいるような、そんな重力とは無縁の運動に見える。
背の高い男性(清水啓司、時田和典)の足元に影のように女性(yumと若本佳子)が寝ている。彼女たちが立ち上がっていく。ぞくぞくする瞬間だ。
歌(ひきたま)が聴こえる:赤い花が揺れる場所で、蛍がゆくよ・・(最後にこの歌はまた出逢える、いつかきっと会えるね、海原超えて会おうね)。
髪の毛の短い少年にもなるyumの魅力は、いつもいつも注目し引きつけられっぱなしだけど、今回もきちっとゆらゆらしたりしゃきっと回ったりしている。
それにまたyumととても対照的な、少女らしい若本佳子がとてもよかった。なぜ彼女の目に涙が溢れてこぼれていったのかは知らないけれど、それはとても自然な現象のように思えた。
はじめの歌が終わってからの踊りに少し工夫の余地があるように思ったりはしたが、全体的に、歌のある場面と、太鼓だけとかの場面とが交互に挟まれて単調さを防ぐように考えられている。
動きにも激しいフォールが繰り返される男4人(ジャン=ダニエル・フリッカーが竹の内、清水、時田とともに加わる)の場面と、女性3人(大田佑子がyumと若本と一緒になる)のたゆたうシーンが対照されたりしている。
一つのシーンの中にも、曲線だけでゆらゆらしていると思うと、すたすた歩く部分が出てくるといった具合で、100分近い長さを十分こなしつつあるように思った。
赤い仮面を被ったりする清水啓司も魅力的だ。その大きな顔を舞踏特有の動物デフォルメで「馬」そのものになっていた。すぽっと座ってぱーって顔が白目(ふちは赤)になる変化のケレンとか、長身によるスマートさとは異なる存在しづらさみたいな感じが良く出ているように思う。
踊りでは背中で踊る場面が多かった。背面の強調は、過去への後ろ向きの退行や郷愁へと向かいがちじゃあないかとも思ったが、そこまで決めつけることもないかも知れない。
だって、3人が後ろ向きに座ってい肩寄せあっている微笑ましく睦ましいシーンは、それが子供時代の夕焼けに染まってまだままごとをしていたい気持ちみたいだったとしても、それはそれで、いいじゃあないかと思うからだ。
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