Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》THE LIBRARY 2001
248.
7/27(金)
《THE LIBRARY 2001〜アーティスト・ブックによる展覧会〜》ギャラリーそわか
ギャラリーそわかで24日から《THE LIBRARY 2001-Exhibition of the book object-》〜アーティスト・ブックによる展覧会〜が始まっている。その数ざっと170冊(個)以上。3つの壁面にぎっしり並んでいる。特色は椅子があってそこに座って読むようになっていること。座って読み出すと絵本形式のものが多いので、通常の美術展よりも滞在時間は長くなる。
集める方もすごいが、もし返却するのなら大変だろうな。でもこういう出版されないけれど「本」という形式を大切にする美術って共鳴する人が多いだろうなと思う。なぜなら、本棚はそんなおうちにもあるけれど、絵画を壁に掛ける風習もスペースも私たちにはほとんどないからだ。
もう少し早ければ、うちのゼミ生に見せたかった。自分たちがいまつけているアーツ日記の未来形(理想像)をこの中から探せただろうからだ。壁に簡便な棚を作ってそれぞれに展示する仕方も勉強になる。
読むことではなく、オブジェとしての本の作品(下の台に置かれていることが多い)もあったが。
私は、たまたまそっけないほどの想定の「常春、」という写真集に目が留まり、じっくりと見入った(川本史織)。何気ない風景が多いが、もちろん少し凝った撮し方をしているものもある。
続けて、写真を見たくなり、大隅圭介「カヨ」というやはりモノクロームの写真集を見つける。これは人物を写している。そして小さくぼんやりした像が分厚くある。こういうふうにテーマをこちらが見つけて膨大なブックになかから自分なりのセレクトをするのが面白い楽しみ方かも知れない。なお、この企画はワタリウム美術館の近くのGallery ART SPACEの主催だそうだ。
他に、「缶々商社植樹祭」というグループの「のら缶」(錆びてぼろぼろになった缶のことをこういうらしい)という本も面白かった。これは文章があって、写真は袋に入っている。捨てられた缶の個性を言葉と写真で綴るという目の付け所が、ほのぼのしながらもこだわりを感じる。
清水克久さんはこの展覧会の、インスタレーション部門(関連企画)の人として作品を地下に出していて、その作品のことが心配でもあり来ているという(触らないで、という注書きを近くには、はりだしたくないから)。
そういえば彼の作品の題名を聞くのを忘れたが、百科全集をまず2冊用意してある。背表紙を見ると日本地図と世界地図のようだ。それを、華奢なガラスのグラス二つに載せるという実にシンプルなレディメイドなインスタレーションである。
そのグラスに入った縦線が彼の好みなのだろう、実に細くてきれいな赤やピンクの縦線。それが地下の部屋のくぼみにそっけなく置かれている。そのくぼみの台になる場所は傾斜になっていて、少し出っ張ったところにグラスを置いて安定させているというものだ。
一方、百科全書はいかめしい表紙で重そうである。世界と日本の全てが書かれているみたいなもので、それをなにげに支えているのは、壊れそうな、でも恥じらいがちなカップルがミナラルウォーターを飲むのにぴったりの細いグラス二つなのだ。
奥には、同じインスタレーションの部の河田政樹《sample、あるいは、公開》があった。写真やシミがついた新聞、自分宛に出したこの展覧会のハガキなどが脈絡なく置かれている。ここにも、本があって、ラベルに打たれて貼ってある同じ形式の繰り返しを見ているスタイリッシュな人の感じがする。
2階には、THE LIBTARY 2001の「ヴィデオ公募展」になっていて、38個のビデオが並んでいる。それをかってに選びブースに座ってヘッドフォンで観たり、大きな画面で複数で観れたりできるようになっている。これも4本ほど観たが、あとでリストを観ると石川雷太さんなどの名前もあって、また来なくちゃ!と思わされほどバラエティに富んでいた。
まず、リストの初めにあった田尻真梨子《ありふれた時間》。アスファルトや石畳、砂浜や草が覆われた地面、そういう地面に卵の殻(半分)が置かれている。静止画のようだが、草が揺れていたり虫が飛んできたりするので、動画だということが分かる。おじいさんが歩いていたりもする。
題名の通りそこには事件はなさそうである。いや、ないことを確認するように撮している(という方がいいかな)。砂浜の海水浴の人達もどこか夏のバカンスを楽しんでいるというよりも、寝る前のお祈りみたいな様子に見えて、世界はすべて平常心と静けさの中にある。
と、おもむろに、置かれた卵の殻が裸足の足で踏みつぶされる。小さな人工的な出来事。イヴェントの繰り返し。でも、映像上は巨大な足と劇的な音響になって編集される。
そして、また卵の殻の残骸が風に吹かれている。1日もすれば、その残骸もなくなっているだろう。その経過を撮してこのビデオは終わる。きっと最後まで観ないひともいることまで計算しているのかも知れない。それはそれでもいいとこの映像は言っている。
先ほどの田尻作品は5分ほどはあったが、この清水克久《Katsuhisa shimizu 2001/6/13》(偶然にも私の誕生日が6/13だから奇妙な感じがした)は1分ほどで、場所は固定されたまま。
実に清水さんらしいシンプルさだ。上の方に道路があって、おもちゃのようなトラックが左から右へ通り過ぎる。少しして右から左へと似たようなトラックが通ったりする。結構、車が通る、でもそんなに忙しくない、中途半端さがほどよい道の風景。
異化作用なんていうほどおおげさはないが、「ぷぷ」と効果音が断続的に挿入される。そしてもっと大きな音である「ぎゃらぐわらん」(ガラスが割れるような音)もあって、意外な気がちょいとした。彼にしてはいささかドラマチックな感じがする。が、田尻さんの作品のあとにこの作品を観たのは偶然なのに、かってに続いたシリーズのようで楽しかった。
あとは、細馬宏通《KaleidophoneX》とYuko Nexus6《LCD》を続けてみる。
'KALEIDOPHONEX'と書かれた文字のインスタレーション(あかり?)が立っていて、その窓を通してまたもや車などが通り過ぎる。車の移動を文字の奥にかいま見ることになる。祐子さんの作品は、画面のなかにまた小さな映像が映る感じがミニマム的で、繰り返すおもちゃみたいな影絵が印象的。この二つを続けてみるのは、これも個人的な興味であるが自分の中ではつながる。実際祐子さんの作品の協力者はEV(細馬)さんだ。
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