Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Tamai,Yasunari
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天王寺から北に歩いたところに、茶臼山舞台という場所があった。落語家の桂あやめさんの稽古場を、白州ボランティアリーダーだった鳴海八重子さんらが借りて、いまも白州にいる舞塾の玉井康成のダンスを行うと言うのだ。
外で待っていると、るな工房の山本繁樹さんという人から、原稿を書いて欲しいと頼まれる。もちろん原稿料はなしで季刊『La Vue』3号に2000字ほど。舞踏とかパフォーミングアーツについて書く人がいなくて、頼まれた模様である。
帰りにその大判のペーパー『La Vue』1号、2号を読んでみると、マルクス、ヘーゲル論があり、男というジェンダーとか、最近はやっているバンドの話など、かなりかちっとした文章が並んでいる。中にはサッカーの話が一番、自分には遠いので面白かった。
さて玉井康成独舞『ザマ』19:00〜19:57、玉井康成の舞踏はまるで田中泯を見るような冒頭だ、といま書いて、さて田中泯を自分はそんなに見ていない(白州での野外より赤坂国際フォーラムで間近に見た踊りが一番くっきりと記憶しているかな)ことに気づく。
何となくそう思ったのか先入見で判断したのかはよく分からない。黒いコート姿とか、ビジュアル舞踏のようなグロテスクな滑稽さがないからだろうか。
音は戸田象太郎。頭に手ぬぐい巻き付けて始まる前からスイッチ類とCDプレーヤーをいらっている。割と大きな石を糸でぶら下げて、棒の線香に火を灯し、糸を偶然の線香の火で燃やして硬質の音をさせるのも、たぶん戸田象太郎のサウンドインスタレーションだろう(グリマー美音子の、氷が溶けて小石が落ちる柔らかい音とともに踊られた山田せつ子のダンス公演を湘南台文化センターで見たことを思い出す)。
そのかくかくした振り返る顔を観ていて、ダンスを一緒に過ごすための私のスイッチがやっと今日は入った。不幸なことにそれが最後まで入らないこともたまにある(凶)し、初めから入っていてそれが終わっても尾を引くとてもレアなケース(大吉)。あるいは、初めはいいのだが最後の1/3で舞踊体環境から自分だけすーっと抜けてしまうケース(小吉)などがある。
最近は、最後のケースが一番多い(「観舞」慣れしている一方で、「鑑賞年増」なので驚きが持続しないのだろう)。
今回は、初めはスイッチが入らずそれが入ると最後まで持続したケースで、「中吉」(か「末吉」)ぐらいだろうか。
広げられた扇子は黒地に花模様。卵を持つ左手の指の丸さが好きだ。ショールを頭に乗せるとおばばの顔に今度は変わる。そのショールを顔に巻き付けてスピーカーにのぼりぶるぶる震える脚がにくい。
一番好きだったのは、後ろ向けに客席そばに近づき倒れ込む姿勢の不思議さだった、といまは思う。挑発するのでもなく、参加を促したり自分の存在の哀れみを請うのでもなく、「ただ傾く」のは難しい。幕を開けると鏡があって一番前の客の顔が写っている。
玉井の顔の皺は客席の顔となんと異なるのだろうか。
風化作用という言葉が浮かんだ。鏡は一瞬で、かかっていた生成の衣装を羽織って、それを広げやはり客席に背後を見せて彼の踊りを終わった。幕についた彼の汗のシミが、アップルコンピュータのマークにそっくりだなあと思いながら、階段を下りた。
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