Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Utsunomiya
8日から始まっているアートマネージメント研修会の会場、栃木県文化総合センター(公立文化施設の人たちの研修会の講師に呼ばれていて午後からがお仕事)に午前中から出かけることも考えたが、芸術環境研究者(まあよく分からない研究ですが)の私としては、やっぱり97年3月にオープンした市立の宇都宮美術館に行こうとタクシーを呼んだ。
都市近郊の、どこにでもある風景が広がる。美術館のある「うつのみや文化の森」に到着する直前に、新しく出来た一軒家が、整然といじらしく(でも同じような工業製品の素早い集合であることは疑いないのだが)ずらりと並んでいる。まだまだ並ぶだろう。そのつきあたりに帝京大学やショッピングセンターがあり、朝の散歩道にふさわしい美術館のある里山につながる。
自然観察路も整備され、ここでは、「バッタと遊ぼう」、ツルや木の実で「リースを作ろう」、「野鳥観察会」などが行われている。
実際には帰りにその表示には気づくのだが、バリー・フラナガン(作品名は「ホスピタリティー」)の大きな野兎が跳ねる「草の広場」が広くて印象的だ。
でも、至るところに小さな表示。入っちゃいけないと書いてあるのかな、と思うと、それが逆なのだ。この広場は皆さんが入ってもらうように作られています、とささやいている。奇妙なことだ。そのささやく必要は何となく分かるけど。入っていいよ、と子ども達や大人たちに言わないといけない理由とは。子どもを持つ親を安心させるため?あるいは周囲の目か・・・うん、考えさせられる表示だった。
帰りのバスをチェックして(タクシーは2600円かかった、バスなら400円)、まず宇都宮美術館(館長/谷新)の常設展から。戸口に、宇都宮にゆかりの美術。そして、世界の美術(後述)。ビゴーと日本の銅板画。日本の戦前の油彩画(吉原治良はこんなほのぼのした絵を描いていたのか)。日本の戦後の美術(辰野登恵子、山田正亮・・・、土谷武の鉄と木の作品「華のように、木のように a」が最後にあって、名残惜しい見送りのように締めくくる)、と回っていく。
何と言っても、常設展では、「世界の美術」のコーナーにあるルネ・マグリット「大家族」に好奇の眼が行ってしまう(ご存じのとおりその価格が高すぎるのじゃあないかと問題になった)わけだけれど、実際の作品は、ラウル・デュフィの絵が流れるように続いた後に、ひっそりと置いてあった。
となりに「夢」というマグリットの、女性の影が少しシュールな絵もあるけれど、この「大家族」は、曇天の波と空が「絵のように」「リアル」に迫ってきて、その中に青くあいた鳩の形の空が抜けて見える・・。問題と言えば分かりやすくて、それが1963年に描かれたものとしてはどこか物足りないとも言えるだろうけど、20世紀の絵画の動きをよく示している教育的な作品ではないだろうか。
デュフィでは「ピエール・ガイスマール氏の肖像」の青い服がパリ市立美術館で観たいっぱいのデュフィを思い出させてくれた。クレー(「三人のアラビア人」「シュタット・エンデ」どちらも厚紙に水彩だからなあ)がなかったのはちょっと残念。
なお、これを書くために記憶力が減衰している私としては、常設展の目録ペーパーが欲しいのだけれど、どこにも置いていなかった。
そこで尋ねると、今回から置かなくなった、と。そこで事務局にあるワープロ打ちの目録(裏表で1枚)をコピーしてもらう。やっぱりこんなコピーでいいから、欲しい人に渡せるようにすることは必要じゃあないかなあ。見ながらノートにメモするのも大変だし(ペンを出すのにいやな顔をされるかも知れないし)。
次に企画展へ。ボン市立美術館所蔵『ライン河の色彩と光---マッケとその仲間たち』。
20世紀の大切な思索家、ヴァルター・ベンヤミンが次のように友人への手紙に書いているという。「ここではいま、じつにすばらしいものが見られる。1914年に27歳で戦死した画家アウグスト・マッケの、回顧展だ。・・・クレー、マッケ、それにたぶんカンディンスキーの画だけはいわば盲目的に信頼できる、という認識に、ぼくはしだいに達してきている」。
1909年の「帽子を被った自画像」から1914年の「綱渡り師」まで。ほんとに短い期間だし、これからの美術家だったのに。だから、大作が並ぶような展覧会ではなく、もし第一次世界大戦で、クレーのように生還して帰ってきたら、どんな作品を展開していっただろうか、と思う気持ちも正直ある。
でも、マッケはパウル・クレー、ルイ・モワイエと3人で北アフリカのチュニスに旅行し、クレーと同様に素晴らしい水彩画を残した。もちろんクレーとはまた別の、若々しいけど落ち着いた、マッケ独特の個性がそこにはあるようだ。特に彼が好んだ、赤い煉瓦色(赤茶色というのだろうか)の路や人物の上着には、革命的な美術への挑戦よりも、日常の街の生活の中を慈しみつつ見方を変え、視点をずらすことによる新鮮な捉え方を試みているように思った。
もっときちんと石川潤学芸員に解説してもらっておくことにする。表現主義の別種の可能性を考えていたマッケは「例えば、色彩の強い対比を、精神的緊張の表出つまり『魂の叫び』のためにではなく、空間の息づきを光のリズムとして構成するために、用いるような方向だろう。なぜなら、そうした光の律動と秩序のうちでしか了解しえない幸福の質感、その儚い約束というものがあるからだ。」
これまで、宇都宮美術館のニューズレター6号を記述のために使わせてもらったが、このレターには、「ワークショップ/大岩オスカール幸男と美術館の家出」という、中学校の36名の生徒との、5月から7月までのまさしく「アウトリーチ」的事業のレビューがある(前村文博学芸員の担当)。・・中学生それぞれが常設展示の中からまず一枚の作品を選び。それと対話することで自分の表現へと「家出」する。そして出来上がった自分の作品を、この豊かな森の中に「家出」させる・・。
中学生時代の不安定な「家出」願望の気持ちと、美術館から外へ出ての野外展示という「家出」までを輻輳させた、なかなか一筋縄ではないワークショップが行われていたようである。
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