13 1999/10/9(土) 

兵庫県立ピッコロ劇団公演「裸のヴィーナス」 

ピッコロシアター大ホール

10.9.土 

兵庫県立ピッコロ劇団公演「裸のヴィーナス」14:06〜15:53。作/岩松了、演出/藤原新平。

ピッコロシアター、昨夜(桃園会)も感じたが、内容に比べて観客がもっといて欲しい感じ。年配の方は多いが、いま関西演劇を担っている中堅どころが余り来ていないのは残念。

新劇ってこういう劇団に遺伝子を宿して新しい演劇の海の中に特別のジャンルとしては解消していくのではないか、とかってに考えた。別役実そのまんまな舞台設定から、なぜかチェーホフの台詞を聞いているような錯覚を覚えてしまったために。

みんな別役実的な病(答えなくてもいいことまでも説明し弁解して自ら不愉快になりどんどん不条理で濃厚な関係になっていく)を持っている登場人物。設定も、海を見下ろす公園に敷物をしいて、そこに居場所を暫定的に作る、という辺りは別役風だ。

ただし、この公園は、どこででもあってどこでもない別役ワールドではなく、主人公(と一応しておく)のアスカ(平井久美子)の父親の設計した完璧に理想的な都市の公園である。題名の「ヴィーナス」はこの公園の入口に置かれた抽象的なねじりパンのような肖像で、この都市を作った市長(あすかという)の像の名前である。

市民参加もあり、清潔で都市美にも配慮された非のうち所のないはずの都市に、あろうことか「心中」事件が起きる。それも死んだ男のいいなづけは、この都市を設計している男の娘アスカ。心中で死ぬはずだった女ハズキは一命を食い止め、世間的には「心中」ではなく、単なる事故だとされている。それはアスカの父親の対面であるとともに、この町のためでもある。

言葉の話せないハズキ(双子の姉妹レイカ/森万紀/が彼女を連想させるようにやってくる)が隣町で娼婦まがいのことをしていた、ということも早くから明かにされている。

冒頭、アスカを励まそうとピクニックに参加してきたモモコ(谷山佐知子)が、オペラのアリアを歌うのも、この町にオペラのような高尚な趣味がふさわしいからだろう(なかなかいい演出)。

でも励まそうとやってきた女3人(モモコの不幸は具体的にはされていないが)は、アスカと同じような不幸を持っている。フジコ(安達朋子)は旦那の暴力(メンタルクリニックの独身医師マエダにかかっている)、チサト(木全晶子)は離婚。この二人は、なぜかやってきたマエダ(石本興司)という異分子で傍観者、徐々に新しい恋愛模様の予感も感じさせてくれる男をここに連れてくるきっかけの役ではあるが、不幸のバリエーションとして、コミカルな脇役を楽しませてくれる。

コミカルといえばコマツ(高橋健二)。ハズキのいいなづけだという。アスカがハズキをここに呼んだというのでやってきた。始まる前から置かれていた上等の鞄は、彼が置いたもの。中には死んだ画家の卵カネコの遺品、アスカがカネコにあてた手紙、コマツがハズキにあてた手紙。なんがかあっけなくかばんが海に捨てられるのもいまふうでおかしい。中味はいいけど、かばんがもったいないというコマツも、典型的に俗物している。コマツが崖から落ちそうになり、マエダは必死に助けるがレイカは助けない、という場面もあった。

モモコがコマツが引きちぎったマエダのシャツのボタンをつけてあげる、というこのステージ中唯一恋愛ぽいシーンがあって、このシーンと、一方で高いテンションが起きている中に、マエダが林檎の皮を剥くシーンが、ぽっかりとほのぼのと思い出される。マエダって、友達が少ないなんて言われていたけど、なんだろう。好奇心でやってきて、女たちの今を生きるためのターゲットになってしまう。

さて、これが主旋律なのだが、隣に敷物をしいた、最も別役実風な親子のことをどう紹介したらいいのか。そもそも親子かどうかもあやしい二人。娘ヤヨイ(江原玲奈、東京からの新人)が明日結婚をするので、じめっとしない親子の別れをここですると、モリタニ(孫高宏)は宣言するのだが。

この二人だけが関西弁。この舞台になっている都市がある地域文化を持ったところではなく、かなりいい加減に芝居上設定された場所であることをほのめかしているのだろう。

それと、しつこさ、ねばっこさが関西弁で助長される効果か。ケンイチロウの服を鞄に入れているヤヨイというのも不可解。心中があった同じ場所「フラワー岬」(人工的なネーミング)に車が置かれていて、無関係だった二組がもつれてもうどちらのことが話されているのか分からないまま、終演。


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