Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Wakai Hiroto solo-dance

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6.29.木 
若井博人ダンス『ただ・ひとつの・こと』ウィングス京都音楽室

若井博人/ソロダンス7『ただ・ひとつの・こと』である。ウィングス京都B1音楽室。

去年は7/1に彼の踊り(ソロダンス六「何処かからの音」)に遭遇している。始まりが去年より30分遅くなった。

チラシによると、若井博人は、1970年京都市生まれ。87年から6年ほど日本舞踊を学び、94年からは観世流仕舞に学ぶ。「虫丸独義」参加、5年間岩下徹ダンスワークショップに参加、93年からソロ活動を開始する。

19:37。求心力のある身体、構築度の高さを感じさせるダンスであることは変わらずではあるが、それ以外で去年と違った点について:

まず、客席の椅子は去年より少なく2列に並べていたが、逆に鑑賞者は多くてその椅子を埋めていたこと。(去年は淋しかったですね、と客席にいた岩下徹さんに話しかけると、そう3人でしたものね、と彼。どうですか、大学は?と聞くとワークショップと違って大変・・・と彼。私の日記を手渡すと学生に配っていいですか?とどうぞどうぞ・・・)

更に去年との大きな違いといえば、音楽の使用方法が、少なくなり、待っている間のBGMもなかったのが去年と大きく変わったところ。公演中も、7分間だけ2種類の音楽が使われただけだ、効果的でインパクトのある挿入ではあったが。

去年の作品では、音楽は5回、無音のダンスに挟まれるように鳴り、実は音楽が鳴っていないときは、鳴っているときの身体の動きを回想する働きを私にもたらしていた。
今回は、まるで逆に私に作用した。
つまり、音楽が鳴ったときの1分間ほどのあまり動かない時間の間(20:01〜02)に、それまでの24分間のダンスを走馬燈のように私にもたらしたのだ。

屈んだ姿勢で、自らの頬と胸を打つシーンから始まる。右手をぐっと握って。ジッパーで開閉するグレーのシャツを着ている。それで空気が中に入っていて独特のくぐもった音が鳴る。自分の身体がつくる音がリズムではなく、痕跡として落ちていく。

後ろから前へ、動きはいつものように削ぎ落とした道筋だけを辿る。左手をポケットに突っ込む、という思いがけないモティーフが現れた。ゲンコツによる殴打は繰り返しによって、それの持つ自虐性のような意味合いは薄れているとは言え、短調のモティーフだったから、ポケット突っ込みにはかなりの意外感があった。

全身の揺すりの反復のあとにもポケット突っ込みが現れる。床に初めて右手が触れる、と今度は両手をポケットに突っ込んでしまう。ソナタに例えるならば、ポケット突っ込みは、厳格な構成はそのままにしつつ、ソナタ形式の第2モティーフとして、ハンガリーのお祭りのメロディの断片がふと挿入されるような、そんな効果がある。

音楽が流れる。いままでの追想が始まる。同じ指の不規則な揺れも音の波でふんわり包まれる。そして途切れることなく室内楽からラグタイムみたいなギター音楽に変わり、初めて動きが音楽に出会う。

ぎこちない安心、恥ずかしいような身体自身から生じる蜻蛉の羽ばたきのような気持ち。両手で叩いてみせる拍手の音が小さく、若井自身、それが本当に鳴っているかどうか確かめるように聴いている。聴いている彼の耳の中を通る音が漏れてくる。

音楽が消える。無音で次に何をするのだろう。その推測をあれこれ巡らしていると、「崩れ」が始まる。昨年はこれが中心的だったFALLだ。音楽以前の不安や心配が相乗的によみがえる。大丈夫だろうか、壊れることはないだろうか、と。

両手を床に着く。確実な音が跳ね返る。
大丈夫だ、と直観する。ここで踊りは壊れたりしないだろう。
両腕の水平からの交差。止まってまた両手着き。コーダのように。
ジェームズ・ディーンという単語がふいに浮かぶ。
ゲンコツの規則的な叩くリズム。左胸、右胸、左頬、右胸。
それが規則的に繰り返され、くぐもっていく。

ゲンコツ、強く。差し出し。開く。・・・20:21。


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