Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》a one & a two


227.
6/4(月)
エドワード・ヤン『ヤンヤン 夏の想い出』京都みなみ会館

173分の長尺ものということもあって、上映が難しいのか、やっと京都にこの台湾・日本合作映画がやってきた。京都みなみ会館。『ヤンヤン 夏の想い出』(2000年。英語タイトルは、a one & a two)。監督・脚本/エドワード・ヤン。

もちろん、とても素晴らしい。それを前提にして「カップルズ」とかと比べるといくつか気になる所があった。たとえば、少しお説教くさいような発言。嫌みではないし、もちろん、映画のことに言及することは問題はないのだが、やっぱりエドワード・ヤンも少し後輩たちに分かりやすく自分のメッセージを伝えようという気持ちが出てきたということだろうか。

それと、日本のグッズ(鉄腕アトムなど)とか日本の風景、天才ゲーム開発者大田の描き方。日本へあこがれる台湾女性の視点とは違うのはもちろんだけれど、少し日本をふわりと優しく描きすぎている感じがする。思い出のなかの二人を包むためだから外国であればそれでいいのだろうか。まあ、淡々と風景であるという描き方自身も逆に、静かな批評ではあるとも言える。

そうだ。私は彼の作品の中では「恐怖分子」みたいな役人の悲惨をぐいっと描いた社会派映画が特に好きなのだ。ホーシャオシェンと対比する形で観てきたからでもあろう(もっと素直に観た方がいいかもな)。

今回は淡々とした家族の日常描写から始まる。それでも浮き上がる台湾のいまの社会、特に中流の上あたりのクラスの家族を巡る人間関係、その軽薄さや絶望、青春への回顧、新興宗教への待避、失恋、そして何もかもがまだ始まっていない少年の限りなく未知の好奇心が、一見ぼそぼそと巧妙さを感じさせないタッチで描かれているのだ。

とてもドキュメントな感じがする。姉のティンティン(15歳)が、眠り続ける祖母へ話しかける映像や、その母ミンミン(40歳)が同じくお祖母さん(ミンミンにとっては実母)へと話しかけ、でも話す内容が何もなくて、それがつらくてずっと泣いている空虚なマンションの暗がり、そこへ帰ってくる父NJ45歳(彼がとりあえず中心人物なのだが、その姿は実におとなしくて目立たない)。

コンピュータ会社を友人と共同経営しているエンジニアであるNJ(エヌジェイって呼ばれる割にはおとなしい無口で表情もなく、はじめは日本にごろごろいる働きバチサラリーマンみたい)。彼が義理の弟の結婚式が終わり披露宴に行くときに、一度マンションに戻る。

何かを取りに帰るのだが、家族と話したりしているうちに何を取りに帰ったのか忘れてしまう。それで、共同経営をしている友人の社長(幼なじみで初恋の人とも旧友)に会い、二人は初恋の人シェリーに出会う。すると、その社長もシェリーとNJのことを思い出したりしているうちに何で、いまエレベーターを降りてきたかを忘れている。

もう、そうなんだよな。45歳のそろそろ健忘症が冗談でなくなる時期のわびしさが自分に身に沁みる。きっと大学生なら、姉のティンティンの理不尽な恋人ファディ(初めは隣人の女友達リーリーの彼氏だった)のことを考えてしまう方がもちろん多いだろう。

その理不尽ななかの真実。なぜそのファディがリーリーの母の愛人である英語教師を殺害したか?そのいたたまれさについて。もちろん愉快殺人などとはほど遠いもやもやのなかの葛藤が表には出ないで伝わってくる。名門女子中学校(高校?)のティンティンのいつも制服の運動着を着ている姿。そして恋。ノースリーブス姿の白さが痛々しい。お祖母さんの膝の中。

おっと、ヤンヤンのことを忘れていた。彼はそんなには登場しない。でもNJが自分とそっくりなんだということからも彼の姿はすべての家族の描写によって感じられる仕組みになっている。家族とはその関係の糸の縺れ方だから、姉が描かれていても母でも父でもそれはヤンヤンを描いていることと同じなのだ。

NJの初恋の話は、もちろん背の高い女性に対するヤンヤンの強烈な初恋とつながっている。NJが初めて遮断機の前で汗がいっぱいの手でシェリーの手を握ったシーンは、並行してティンティンとファディの踏み切り前へとつながる。思い出と現在と、夢と未来。
何ものもマジックのように同じようで実はみんな違っている。

イッセイ尾形(「一成」とクレジットには中国文字で書いてあった)が天才ゲーム開発者として、肩に鳩を載せて登場していた。美しすぎる童話のように。でも彼はそんな浮世離れした役も不自然でなく生きてしまうから、でしゃばりもせず、NJの青春への再出発という幻想に寄り添って、トランプカードをしていた。

ヤンヤンが撮すカメラのことをどう書いたらいいのだろうか。まずは学校廊下の蚊を撮る。カメラには到底写らないものを撮すヤンヤン。
そして人が自分では絶対見られないものとして、クラスメイトなどの後ろ姿を撮していく。俗物の担任は、現代美術だとヤンヤンの写真をバカにするだけで理解できない当惑を隠している。クラスメイトに同意を求めるところがさもしい。

教員室いずこも同じ夏模様 月豚



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