Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》chiisana・・basyo#2
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燐光群梅ヶ丘BOXで先週公演して、地元の京都大学文学部控室の初回(明日にあと2回)。いま、京大は工事(博物館など)が行われていて、入口が入りずらくなっている。暗い中を、ぼんやり薄暗く照らされた案内を見ながら入る。
客席には13名ぐらい。一緒に来た芳江とひそひそしゃべっていたが、それも迷惑なぐらい静かな待ち時間。
それで、舞台の白いクロスのかかったテーブル、その上の小さな花瓶に一輪のつぼみのような真紅のバラ、灰皿をもらった紙の余白に描き始める(芳江は私よりも大きく、印象的なものだけを描き出し、その隣の中年の男性もやはり描き出す)。
家具はみんな古い、でも木の味が出ている。
背もたれの長い椅子が両側に二つ(だから、登場人物はほとんど横顔を客席に向いて話し、ときおりこちらを向く)。
奥に食器が少し入った食器戸棚。
その下手はラジオカセット(風だけを録音したカセットが入っている)が置かれた背の低い戸棚(その下側の扉から、ラストには、白い紙でできた小さな家3つと樹、電信柱、そして雪=粉がテーブルに置かれることになる)。
食器戸棚の上手に少し離れて黒い電話(福祉の「会」からここに電話があったときには、もう男は永遠の眠りについている)。
テーブルの上には、明りが吊るされている。でも、劇中一度も灯されなかった。照明は、その上方に吊るされた3つの光源による。
ごめんください。女が上手から入ってくる。
でも、客電は落ちない。これには驚き感心した。真っ暗になったのはラストだけである。小さな小屋だからできることだろうが、このまま静かに強い集中をもたらす舞台を二人の会話(それに最小限の演出、つまり、風の音や雪の落下、テーブルに置かれた白い小さな家の中の黄色の明り)だけによって成立させたのは、すごいことだと思う。
広田ゆうみは、静謐な俳優である。
グレーのセーター、黒のロングスカートに黒い靴、籐のかばん(中から白いエプロンを取りだしつけるが、途中で外す)、藤と同じような色のショール(椅子の背もたれに掛けられている)。ターバンのような黒の帽子が特に小造りの顔にマッチしている。
早口で余り抑揚をつけないクリアなしゃべり方。
職業でありながら親密に話すことが仕事である(公私の別があやうくなりがちな)「会」の派遣人の役を清楚に演じる。
最近、疑似家族サービスを素材にした芝居がけっこうあるが、これも、見方によればレンタル家族の最小版(つまり、レンタル妻=セックスレス)をすでに別役は先取りしていたとも言える。
としこかい?男(藤原康弘)は下手奥の暗がりから、ぼさぼさの頭、よれよれのスーツ姿で出てくる。若干、体が大きくて若いのが残念だが、女との対比は顕著で、ぼやけた喋り方と、それとは対照的な論理性が浮き彫りになる。
一度「この世界が・・」と男がしゃべったときだけ、照明が変わる(少し暗くなってまた前と同じになる。この照明の劇的変化がその後もあるだろうと予期していたら、まんまとその予測を裏切らせてくれるのもいい)。
そうなんだ、この世界が自分によってどんな意味があるか、問いかけようとすると、世界が意地悪をしてその思考を妨害するのだ。
男は妄想に取り付かれている、それに、自分が誰か、存在していることが確かなのかどうか、回りの世界は本当にあるのか、みんな曖昧な場所がここ、513号室なのだ。
ただ、この名前もはっきりしない男には、「としこ」という名の妻がかつていて(「会」から派遣された女がかつて一緒にいた彼女の夫とそうだったように)、会話が成立しなくなり(あるいは「エチオピア人とチェコスロバキア人が会話している」ようになって)別れたのだろう。
と、途中までは芝居を観ながら、女も私たちも想像している。
「先生」(状況の説明はない)と一緒に男が作った、子どもの時に立ち去った最小限の街(家が三つに一本の樹、それに電信柱)。そのミニチュアに、粉の雪が光にきらめき見えたり見えなかったりする(「としこ」は母の名前なのか)のも素敵(それは「過去の記憶」の奪回であり鎮魂でもある)。
だが、その後に、「エチオピア人とチェコスロバキア人が会話している」ように会話をするために、もう一度別れた夫のもとに会いに行く「未来への決意」が一等、美しかった。
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