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2/20(日) 
上田假奈代/魚村晋太郎poem work shop『結婚式』アトリエ劇研

鎌田高美さんの主催/企画。

私(=鎌田さん)の主催といっても、実はアトリエ劇研がたまたま空いたので、上田假奈代さんに話したら、キャッチーにも『結婚式/けっこんすたいる』ってつけてもらって。

ええ、この「けっこんすたいる」というのは、魚村晋太郎さんの朗読した詩にあったように、電動式とか手動式とかの“「結婚」式”でもあるんですけど(じゃあ、離婚式とか同棲式とか別居式もあるんですかあ)。

(そうそう卒業スタイルでもあるんですね。鎌田さんのアトリエ劇研の卒業式だったりするわけですから。)

假奈代さんも、明日から卒業試験(料理づくり)で中華料理作るんですって(料理学校のご卒業間近ですね)。

卒業が続く吉野の櫻。かきぬけて。(假奈代さんも春には川上村第三セクター「料亭」の板場さんですね。逢い引きにどうぞって言ってませんでした?)・・・

「現代詩の果敢な試み。小倉百人一首/本科取りコラボレーション。恋の悩みは平安も今日も変わらず?」。(初めは、俳句を使おうと思ったようです。)

アトリエ劇研につくと、鎌田さんは音響と照明と一人二役だし、なにかと準備で忙しそう。假奈代ちゃんは、あでやかな着物姿で、トイレに入ったりしている。年配の夫婦づれが早く来ていたけれど入れないのでうろうろ。大津のナカマチ商店街の杉本洋子さん(母親を介護しつつアーケードアーツを企画した人)が、高知県名物ブンタン(黄色くて大きい)を持って来てくれる。

poem work shop『結婚式/けっこんすたいる』アトリエ劇研。14:10〜(2度休憩)16時半過ぎぐらいだったか(いかん、参加者たちと一緒に集合写真を撮った後、水餃子を食べに行ったので、記録せず)。

まず第一部は2人の交互の朗読とパフォーマンス。

上田假奈代、魚村晋太郎が舞台の上に横になる。舞台がさらっぴんなので、まな板のようだし、それに「魚」村さんのお腹を見ていると、まるでマグロやブリがまな板で観念しているよう。それが結婚式っていうわけかな?黄色の地の假奈代さんの着物はお母さんのもの、魚村さんのネクタイも黄色(あとのお色直しで赤のネクタイに)。

上田假奈代の小さな声が暖房の大きな音に犯されそうな始まりの詩。黒のぽっくりが不安定そう。次第に、大文字焼きの頃の女の内腿が、透き通って見えてくる。

大きく四角い顔の魚村晋太郎。黒いトランクスのままで朗読する。

隣の部屋で森新一がのみどを洗っている。「のみど」ってなんだろうとずっと思って聞いている。

続けて、魚村のおかしな詩がテープで流れる。ウメダアヤカちゃんが読んでいるらしい。彼は、ひたすら段ボールから生理ナプキンを取り出して、自分の黒の式服に貼っていく。90342255、美穂、30歳、はねなし、双補的なもの・・・。何だと思ったら、ナプキンのバーコードらしい。「はねつき」「はねなし」って?風俗嬢の子宮は、開いたまま閉じた眼と同じ。なかなかあざとくもイメージ喚起力のある言葉と声だ。

次の上田假奈代は客席を渉る。少し声に艶。言葉がクラスターのようにやってきて、快感が徐々にやってくるようになる。

阪急電車。トマトを切る。大阪の地名(中田君と呼応しているちゃうかあ?)。女を男から眺めている部分がとても多い。ポルノチックな言葉が溢れているままに、それが京都タワーに隠れるダイナミックな風景描写へと「すっとぶ」あたりが快感だった。

京都ステーションとオナニーちゃん(言葉は映像と同じく一瞬にミクロな肌上映像から日常景色へ飛んだり跳ねたり)。ガラスにつけたひやっとする乳房の表情が読める。

魚村の詩では「帰化したサマンサ」が秋刀魚を焼くっていうのが、ファンキーな声にあいまって、ノンセンス言葉遊びに懐かしい味漂う。何だか、こんな詩を30年前に読んだような気がする〈けど/から〉愉快。だいたい、私には現代詩って、鈴木志郎康あたりの猥雑な処女大股開きあたりでおわっちまって、あとはねじめ某とか読んだけどピンとこず、ほっとらかしだから、全くえらそうなことは言えないけんど。

休憩のあと朗読参加の時間。

朗読参加の人は、制作も手伝っていた中田君を入れて5人。

まず、籤によって一番大きな数字をひいた山崎さんが、百人一首を使って、詩を創ってきて朗読(少し演技)。民博の吉荒さんが黄色い『脳天パラダイス特別大詩集』(鹿砦社、99.12)から、「TWO HORIZONS」を歩きながら読む。やっぱり大人。

「あんず」ですという、小学校のお子さんを持つ何だか緑の総模様なワンピース髪の毛両縛りのぺこちゃんふうな女性が、段ボールにいつも近づく「木下商店のおっちゃん」を読む。凄く下手ウマな仕草が奇妙な日常説得力。

矢板君が遅れてきて(靴下が穴あいているので後ろで読むと言って)登場、「藤村モーターズ」ほか1編。一緒に居た女性が機関車トーマスファン。中田君は正座して、假奈代さんに2年前に会って現代詩というものにも少しは馴れたと自分の詩を披露。

あのステゴラウルスの詩集(文集。これは假奈代さんのお母さんが中心となって編まれたおばあさんの追悼集)がほしい杉本さんが假奈代さんに話しかける。杉本さんもお母さんの介護で大変なんですよ(と私)。(假奈代)母に話してみます、実は300部作ったんですけど、なくなっちゃって・・・

杉本さん、帰らなくていいですか。(杉本)タクシーで大津まで帰ります。5時からファッションショーがあって、それから学生たちがやっていた「町家にあるアート」の打ち上げが7時です(いそがしそうだなあ)。ブンタンみんなにあげます。

最後のパートは、オレンジの明かりの周りに2人近づいて読むスタイル。

百人一首を相手に送りそれに詩をつけて交互に送り返したものと、「連詩」の連なりを朗読する。緑の小さな明かりを、ペットボトルの水の中と客のたなごころに置きながら。

海上でドイツ兵のボートがナンパした鳴門沖の実話にかってに重なり、来ぬ人や春の夜の夢ばかりな、極東の女の、京都新聞の片隅で折った折り紙。背後から暮れなずみ。こそばゆくそここそがこそばゆい。着信音。貴女は、月の模型だ。

杉本さんが、聴きながら、自分の中に封印された言葉がわき上がってきて困ったっていっていた。「詩を読む」あるいは「言葉を即興する」ための場づくりは、自主映画の場づくりとともに、これからのOsaka Arts Access企画などでやってみたいものの一つだ。


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