Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》tosyokan-kitan
79.
扇町ミュージアムスクエアフォーラムのドアが開けられる。目の前に白いカウンター。図書館の受付だ。でも客席はどこだろう。この受付を通ってその奧だろうか、と思ったら、入ってすぐ横に客席は作られていた。
つまり、フォーラムの半分は書棚の向こう、何があるか分からないままに、そのセットは緊密な一体感で造られていた。
劇団ジャブジャブサーキット第33回公演『図書館奇譚2000』。作・演出:はせひろいち、19:37〜21:25。今日と明日がミレニアムヴァージョン。
つまり、2000年に壊されてしまう「禾の森図書館」のお話です。
アナログにこだわった館長(小山広明)が、本の森の番人の司書(小関道代の地味な感じもどこか寂しげで)が、その森に迷い込んだままの常連さんたちが、6年前のベテラン司書御国さんの謎の死を巡って、集います。たまたま迷い込んだ人もいます。図書館を塒(ねぐら)にしている人も。
こんなに面白いとオリジナルヴァージョンも行くしかないなあ。だって6年前に観たものとどう違っているのか、ディテール的にはさっぱり忘れているもの。
始まっても客電はほとんど落ちない。落ちるのは、時間が数時間飛んだときに、一度。これはまだ余裕。小物(みずのいくひこ)はいつもしゃれている。ボールの明かりのおもちゃを使って、それを照らす効果にも活用。小道具といえば音楽が突然に鳴り出す冒頭のコンピュータ赤ちゃん。アナログからディジタルへの図書館の移行ともちろん繋がっているのだ。
本当に真っ暗になる闇はミステリーのクライマックスに取っておかれている。音響も最小限。音楽は一度鳴っただけではなかったか。開始前の人物登場は少しだけ。隣の人と話していても問題ない(共通性を持つと思われる劇団ではあるが、例えば青年団や弘前劇場では始まる前からシンってしている)。
土曜日にでも確かめればいいのだけれど、ラストの演出は初演よりも少し派手になっているのではないか(と感じてしまった。実は初演と同じだとあとで分かる)。悪くはないが、自分としてはもっと抑えていてもぞくぞくしたように思う。図書館の壁とか本の堆積によって、その外の広がりは空想できたようにも思う。ここはエンタテインメント性も十分に配慮するジャブサーならではあるが。
それにしてもふいと目をやるような一つの動作とか言葉づかい一つずつが面白い。最近の彼らの作品よりも、すっきりと話が一本線だからだろうか。喫煙コーナーのすぐ前の席に座ったのは風邪気味な私としては失敗だったが、ここがまた図書館における半「屋外」(半「部外」)な役目をしている。燃えては行けない本、紙、に対して燃えてゆかねば吸えない煙草の煙。
はせひろいちにとって言葉(遊び、謎掛け)も立派な「小道具」のうちだ。固有名詞に語呂合わせ。ダジャレがすいと滑ったりするのもまた一興。今回は謎の女なのにダジェレている御国の娘役の咲田とばこ(この名前自体が何かそういえばダジャレぽい)が言葉遊びの中心。
もちろん、地元作家(栗木己義)やルポライターと称する役の松本真一(次のオリジナルヴァージョンでは、世一嘉津男がミレニアムヴァージョンで演じていた野宿者になる)もいつものとぼけ。
中心ではない人たちの描き方も愛情がこもっている。司法書士を目指してなかなか通らない「書生風の男」を演じる長尾みゆきとか、もっとこの芝居世界(つまり図書館という言葉を核としたコミュニティ)の外部の登場人物である、特徴的な母子の関係とかにも確かなデッサン。
典型的なガングロ女子高校生(江川由紀)とガッテン(力仕事)の現場責任者の母(瀬辺千尋)との微妙な関係(かなり暖かい)は新しい贈り物だった。ガッテン母が実は地元作家の熱心な愛読者であったという山葵(わさび)もきいている。
どんな活動なのかは最後で、御国が残した遺言の紙を読むシーンで少し垣間みられただけだけど、続いてきた「朗読会サークル」活動が新しい図書館では出来ないということの淋しさ。図書館自体が地元の文学者とか本好きの人たちと交流するのは本来の機能だと思うけど。
管理の問題なのか。それとも市役所の小林(中尾達也)の判断か。これは話が展開したために新しく存続することにはならないのか。
議会で問題になっていたって話していたから、特定のグループに開館時間以外には使わさない、という「公の施設」条例解釈の問題かも知れない。
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