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2000/2/5

「P-ブロッ」コンサート─音の背景

 2月5日、カノン工房さんにご紹介いただいた、鍵盤ハモニカ・オーケストラ「P−ブロッ」のコンサートにうかがってきた。

 鍵盤ハモニカ、すなわち小学校教材として誰でも必ず一度は手にする、“ピアニカ”など。鍵盤ハモニカのアンサンブルってどんな感じなんだろう?興味津々なのである。

 出だしはいきなり「北風小僧の寒太郎」。メンバーは皆ラフな格好(メンバーのしばさんはネクタイしめていたけど)で、ヒューイヒューイという感じで、曲が進んでいく。クラシック、映画音楽、現代音楽にオリジナル曲もまじえて、まさに自由自在。

軽快にはじまったかと思えば、静かな調子になったり、次第に激しくなったり、聴いているうちに曲がどんどん変化する。その呼吸、緩急のつけ方はまさに絶妙。だから、音が生きていて、同じフレーズも繰り返されるたびにイメージが広がり、成長していくような感じである。

 それは、生物学的にいえば細胞がたえず増殖と分裂を繰り返していくようでもあり、また文学的な表現をするなら森の中を進んでいくうちにオバケに会ったり新しい仲間ができたり、いろいろな出来事を経験しながらも、わくわくドキドキ冒険をする物語を読んでいるかのようである。

 事実、メンバーのはやしさんが、「昨日までは別の楽譜を使っていたんだけど、今日は新しい楽譜でやってみようと思ってかいてきました!」と言って、客におもむろに見せた楽譜は、彼女がつくった物語の「絵」なのであった(ちなみに、彼女は休憩時間に以前の楽譜と新しい楽譜を両方みせてくれたが、古い“楽譜”も絵であった)。

 これをいきなり目にした観客とすれば、「笑いをとるための演出か?」という思いが一瞬よぎるのだが、これはジョークなどではなく、メンバーにとっては曲をつくっていくための大事な「絵譜」なのである。はやしさんがイメージした物語の世界を、彼らがそれぞれに読みとり、その内容を音に変えていく。だから、時には彼女がイメージしていたものとは全く違う予期していない音が飛び出すこともある。はやしさんの「えっ」と仲間を見まわすその表情(これがまた、観ている側としてはおかしい)。が、そんなハプニングをも流れにかえ、相手の音にのっかったり、つけたしたり、誘導したりしながら、彼らは立派な1つの音楽をつくってしまう。

 この“イメージから音へ”のやりとりは、メンバーが2人ずつに分かれてそれぞれ何かを演奏する「グループ研究」の時、しばさんと小松さんのコンビに逆の形であらわれた。すなわち、“音からイメージへ”の転換。絵譜も楽譜も全くないところで(勿論、事前の打ち合わせも何もない)片方が演奏し、もう片方がそれを聴きながら1つのお話をつくっていく、というものだ。この演奏者と物語の制作者(語り部)の役割は適宜交代しながら交互に受け持つのだが、役割を交代する度に話の流れが変わっていき、結末はどうなるのかわからない。そんなところがまたスリリングでもある。

 そんな遊び心一杯の研究の他に、「グループ研究」では、ドイツの鍵盤ハモニカ(“メロディカ”という商品名)を使用したはやし&吉森ペアによるバッハの『インベンション』、どのペアよりも真面目に練習したと言い張る野村&鈴木ペアの鍵盤ハモニカとピアノのためのオリジナル曲と、バラエティーにとんだ音楽が楽しめた。

 このような彼らの演奏を聴いていると、演奏を構成する要素としての「遊び」が、実に見事な形で表れていると感じずにはいられない。最も、そのためには、鍵盤ハモニカを演奏する技術がしっかりしていなければならない。そしていくら技術があるといっても、単に自分のパートだけをひたすら自分のペースで弾けばいいというものでもない。

「遊び」だけではただの「仲間うち」の演奏に終ってしまうし、「技術」だけではガチガチの血が通わない演奏になってしまう。

 この「遊び」と「技術」の見事なバランスの上に立っているのが、彼らの演奏なのだ。

 私は彼らの音楽の心地よさにひたりながら、その音のすき間に見え隠れする絆の深さに思いをよせていた。

 お互いが信頼しあっていなければ、このような血の通った音楽はうまれない。メンバーの一人一人が自分の演奏に責任を持つということが根底にあり、さらに相手への強い信頼感で結ばれてこそ、遊びがいきてくる。

 だからこそ、聴いている観客も心底音楽を楽しめるし、聴き終った後も爽快な気分で立ち去っていけるのだろう。

 また、彼らのコンサートに足を運んでみたいと思った。


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無断転載禁止 掲載:アーク編集室