Arts Calendar/Art's Report site/《Report from TABISAKI》02/4/9
●2002年4月 <その2>
リヨンオペラ●まるでお手本のような
1989年から始まった改築工事は、ジャン・ヌーベルという建築家の設計です。
まず1年かけて完全に外壁だけを残して地下5階まで掘り下げ、次に構造を組み上げ、さらにその構造に吊り下げるかたちで本体を造り、3年半の工事の末に1993年からオープンしたと言うことです。よっぽどの大工事だったのか、その改築の詳細は小冊子にまとめてあり、手に取って参照することが出来ます。
建物は客席側と舞台側とに防災のために区切られています。客席側は地下5階がサービス設備(冷暖房や上下水道の)、地下4・3階を吹き抜けにして合唱のためのリハーサルルーム、地上1・2階がアンフィテアター(ここでは初日のレセプションなども催されます)、3階から7階までが客席(この客席がご自慢の完全吊り構造になっていて、防振防音は確かに大したもんです)3階にホワイエ・5階にレストランがあります。出演者の楽屋は7階と8階、9階と10階はオフィス、11階がかまぼこ型のガラス屋根直下のバレエスタジオになっています。
旧外壁は5階までですから、地下と屋根を足すと改築前のおよそ3倍の容積になっています。舞台側は地下5階から地面レベルまでの吹き抜けで舞台と同じ大きさの稽古場があります。吹き抜けスペースを取り囲むようにスタッフの控え室や事務所・オケの楽屋などがあります。窓を開けると稽古場が見下ろせる感じです。地上1・2階が奈落(2層になっています)、3階から8階までが舞台空間、9階10階がやはり2層になったスノコ(天井の作業場)。そして最上階11階にバレエのための稽古場がもうひとつあります。
今日、隅々まで案内してもらったのですが、スタッフ用のコーヒースペースはセクションごとにあり、職員用のレストランが舞台側のかまぼこ屋根の三角になった細長いスペースにはめ込まれていました。高速のエレベーターが4基あって、上下移動には不自由しませんし、アクセス用の通路も建物中央と両サイドに確保されていて、さすがに非常に合理的。合唱・オーケストラ・バレエのそれぞれの大量移動の際は、動線を完全に分離できる仕掛けな訳で、頭が下がります。
楽器と大道具の搬入用のエレベーターはそれぞれ地下の倉庫と地上の搬入口と舞台をつなぎ、すごく仕事がしやすそうです。うらやましくなりました。そして、決して忘れてはいけないのが、地上階のフリーアクセス。繰り返しますが、客席が完全な吊り構造なので、なんとロビーには柱がありません。突然地下に降りる(アンフィテアター行き)エスカレーターと上に向かう(オペラハウス方面)エスカレーターがレイアウトされています。エレベーターシャフトも忽然とそこにあるし、真っ黒なのと映りこみが多いのが相まって、上下左右の感覚が思いっきり狂います。
それでもめげずに真直ぐロビーをつきぬけると、何枚かのドアを超えてそのままバックステージです。地上階は避難経路にもなっているので、舞台客席の区切りがないのです。つくづく、良く考えて造ってあるものです。
もともとは地方都市の小さな芝居小屋だった(とはいえ石造りだしオペラが掛かっていたのですから立派な劇場だったのだろうと思いますが)そうです。オーソドクスなバルコニー式の客席で、古くからのスタッフに聞くとその感じが懐かしいとか。そう言えば客席などの雰囲気は前のセゾン劇場(今はルテアトル銀座という名になった)みたいで、多少窮屈ですね。どっちにも捨てがたい魅力があるとは思いますが。
この街は人形劇なんかも盛んで、あちこちに大小取り混ぜてほんとにたくさんの劇場があるということ。中には昔のまんまの古い小屋も残っているのではないかと思います。言ってみれば大阪みたいなもんなのかなぁ。さしずめここは松竹座みたいなことね、そんな感想を思わず持ってしまったのでした(国立だけどさ)。
(2002/4/9)
岩村原太の「万国文化中心報告」の扉へ
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