Arts Calendar/Art's Report site/《Report from TABISAKI》04/2/28
●2004年2月 <その3>
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「だれか、来る」スタディ、とりあえずのまとめ。
これからは、この課題を考えていきたいです。
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思ったこと●演目と劇場の関係
「だれか、来る」の旅公演に付いて、今回はプランナーという立場だったおかげで冷静に舞台と客席・作品と劇場の関係を見て廻ることになりました。普段は自分自身が照明作業に夢中なところで目に入ってくる会場の様々を書きとめるという風なのが、自覚的に劇場の建ち様を観察し意識的に公演を分析する姿勢が保てました。
地域行政的なニーズに応えて建てられた会館と、全国を巡業する座団(便宜的にこう言いますが、劇団や一座ばかりでなくコンサートやライブのグループ、商業的なものも芸術的なものも含めてのことです)の関係は実は戦後すぐからの(勿論それ以前の状況もあって)長い歴史を経て培われているわけで、ですから安直にそうした施設と「最近の小屋」についての差を発言しない方が良いとは思っています。
ただ地域行政の進み方が何回となく方向転換をし、あるいはさせられ、行政側と住民側の双方にそれぞれストレスが蓄積されている。結果的に現時点での文化施策に対する考え方が、箱物アレルギーに対してどのように対処するかに収斂するように見えるのも、全国巡演を生業とする多くの座団の、これら会館と鑑賞者団体に対する姿勢が地域全般には決して伝わっていなかったこと、の一つの証左なのではないか。
発信型の劇場運営を謳う多くの会館施設は、この点を見逃さずに、巡演型の座団との決別を前提としたプログラムを、模索している気がします。しかしそれは簡単なことではなく、また職能集団でもある座団としても経済的なダメージを受けるわけですから、ここんところはそうそう譲れない。それはつまり、レジデンス型の創作かフランチャイズ型の公演か、折り合いの探り方を今まさに実験中ということ。
その実験を即座に実現できる施設は良いとして、それに至るコンセンサスを立ち上げるところから取り組まざるを得ないのが、殆どの「最近の小屋」の状況なのではないでしょうか。一つの折衷案として今回の演劇制作ネットワークのような巡演のあり方も提案されているものと推察します。それは白紙状態からのプロダクションの立ち上げ、の練習というか勉強というか、そんなモティベーションも含んで、です。
そもそもなぜ会館施設が建つのか、地域文化とはなにか、住民や行政にとっての劇場芸術や舞台芸能の必要性とは、それは護るべきものか。公共館の抱える課題は裾広く、個別の問題にも事欠かないだろうことは、およそ想像を絶します。
しかし、というか、だからこそ、果敢に挑みつづけないといけない。
人々が集う場所であるからには、集う人々に何がしかの感興を与えつづけられるように。公共館だからこその挑戦とは、はたしてどんな形の何なんだろう。
その舞台を使いに来る職能者や出演者、客席に足を運ぶ観衆、小屋を維持する管理運営者、この3者の出会い方をいろいろに考えてみなければいけないなと思います。
自分のことを例にとっても3つにきっぱりとカテゴライズされる訳でなく、時に職能者は観衆にも代わり、管理者は職能者にもなり得、幾つかを兼ねて同じ現場に立つ事もあり、報酬を受け取る場合もあれば無報酬のこともあり。
大規模な劇場や会館施設はその点では特殊な組織なのだと、まずは課題を整理しなければなりません。中規模つまり、キャパ1200程度までのホールとせいぜいもう一つくらいのスペースを持つ施設も、そういう小屋として分けてイメージするべきでしょう。問題はこのサイズの小屋よりも別の小さな場所でずっと深刻な気がする。
そうした小規模の施設をモデルとして考え、その組織のあり方や上記3者の関わりについてを、もっと積極的に分析的に研究するべきだ、と思い始めています。
(2004/2/28)
岩村原太の「万国文化中心報告」の扉へ
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