Arts Calendar/Art's Report site/《Report from TABISAKI》06/11/06
●2006年11月 <その2>
ホーム・スイート・ホーム●nfG
3ヶ月ぶりに西陣に戻ってきました。セレノグラフィカ・阿比留さんとのインプロヴィゼーションです。この秋あわただしく国内外を走り回ってきましたが、束の間、京都で良い時間を持つことが出来ました。ご来場いただいた皆さま、またお手伝いくださった方々、ご出演の阿比留さん、本当にありがとうございました。
自分たちの思いのまま、お客様との関わりを見定めながら、ごく適当に即興を展開する。限られた少人数の会場で緊張感と開放感が錯綜する空間と時間。この上演には目的が無いので自然な意味での自由が有り、自分の活動の一つの極点を確認する恰好の1時間となっています。アメリカという日本に良く似た国で仕事をしてきて、多少げんなりしていたところだったので、尚のこと、この1時間は貴重でした。
人間一人が一つ場所に座り続けて体感できる空間のサイズは、触覚・嗅覚・聴覚・視覚を併せて精々3間四方くらいでしょうか。ここに味覚と時間を導入して(さまざまの錯覚や言語情報も動員して)ようやく、4間四方か立方か、普通の家の大きさに至る気がします。山海塾で行っていることはその体感を希釈せずに数百人から、最大で2千人ほどの観客にダンスする者の迫力を伝えることです。
私たちの小スペース、西陣ファクトリーGardenでは、行われていることの内容を凝縮せずに、濃厚な成分味が露骨に剥き出しにならないように、気を配らなければなりません。このことは、実は、山海塾で気を遣っていることとほぼ同じです。
人の真実の姿を、極力、等身大に見せる。遠いからといって大きく見せたり、近いからといって小さく見せたりするのではなく、見ている人と見られている人の関係=距離感をなるべく均質に、つまり、遠すぎず近すぎず整え、その立ち方、呼吸、まなざしを、見る人の体感サイズに収めていく。大劇場での仕事が続くとどうしてもこの「体感サイズ」が肥大しがちで、自分自身が薄まってしまう気がします。
それと、アメリカでの仕事はどうしてもこの「体感サイズ」の大きさ比べみたいなことが現場でやり取りされて、それがまた微妙に、日本の現場でのプライドの探り合いみたいなものに似ていて、実に淡々しい劇場作業に決着しがちなのが厳しいですよね。自分は非日常を提供する機会としての上演を望んでいないので、つらいんです。
ということを公演後に感想として持てたので、今回のインプロヴィゼーションは、素晴らしい収穫でした。踊り手と2人で直接の接触なく、時間と空間を作っていく試みはまだ2回目です。お互いの関わりから独自の場所が作り出せるようになるまで、もうしばらくこの座組みは続けなければなりますまい。何かとても生々しい、あるいは生命感に溢れた、協働作業が展開しそうな予感がします。
次のインプロヴィゼーションは来年5月だと思います。楽しみです。
(2006/11/06)
岩村原太の「万国文化中心報告」の扉へ
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