Arts Calendar/Art's Report site/《Report
from TABISAKI》07/12/22
岩村原太の「万国文化中心報告」vol.221
|
北九州の鼓童●芸術劇場中ホール 演劇専門性を謳う北九州芸術劇場の中ホール、ここで山海塾は何度も日本初演の舞台を開け、暖かく熱心な様々の評価を得てきました。この12月、鼓童公演で再訪しました。生の音の難しさ、結論的には音の飛ぶ方向と響きの伝わり方を、如何にコントロールするかと、視覚演出的な要素をどうやって両立するか、が課題でした。 いわゆる音響効果、テープソースなど録音素材を、しかるべき手続きで按配配置したスピーカーから、求められる演出に応じて適正に出力する、その目的を突き詰めるとドライな、余計な反響成分を出来るだけ排除した空間作りが必要となります。 同様に、劇場用照明器具を計画分配して、必要な箇所に必要なだけの量の光を届かせることを旨とすれば、場内は黒く、照り返しや反射成分を極力生じさせない黒い空間が必要となります。北九州芸術劇場中ホールは正にそんな建物になっています。 おかげさまで、照明的には見事にシャープな、狙い通りの奥行きと舞台の幅を見せることが出来、出演者の輪郭・顔の表情も、必要なだけ充分にアピールさせることが叶い、こう言っては何ですが、自分の照明デザインに酔いました。 ところが太鼓の音、あるいは鐘(鉦)の音、唄の声では、響いて得られるふくらみや余韻を減じられ、生の、例えば発音体にマイクを充分に近づけて録音したMDを、イヤホンで聞いているような、精緻な(あるいは繊細な)モノになってしまっていて、分析的に解剖的に、楽曲や演奏家の技を聞き取れてしまう。 仮に、こうした条件を含んで演出するとなれば当然、曲ごとの楽器配置も演奏家の動線も、全て最善の状況を作りつつ、音の混ざり具合や届き具合をきわめて正確に計算してコンサートの流れを造らなければならない。それは良い仕事になる気がします。ただ、電気音響を使えば多少は労力が減るかも知れず、もしかするとそれが現時点での業界標準的発想なのかも分かりません。が、そのコンサートって何なのか。 鼓童の皆さんとのお付き合いで得たことは、究極は、この一つの問いです。何のための演奏か、コンサートとは何なのか。今日現在本隊は岡山広島大阪名古屋を経て東京で上演中です。平均して20歳代の出演者の大半は元気良く、好きな太鼓を叩き続けるために鼓童で学び、鼓童と暮らし、鼓童の旅をこなしています。彼らにとっては全国・万国の観客の方たちとの交歓がコンサート会場での活力元のようです。 では翻り、観客にとっての鼓童とのコンサート体験は、活力元でしょうか。否、活力元という言葉が既にイヤラシイですが、例えば、元気になるために鼓童を聴きに(観に)出かけていく人が大半なんでしょうか。でも他の上演団体の仕事でも元気になることは出来るかもしれません。鼓童の元気の質、鼓童の活力質とは、その特色は。 東京でご覧くださった仕事先から「子供の頃田舎で見ていたお祭りの夜の映像や感覚が蘇って」きた、とのご感想をいただきました。大切なことだと思います。なぜ鼓童が全国各地の伝承芸能をベースに上演々目を再創するかの、原点が指摘されていると思いました。クライシスとカタルシスを、両立できる可能性がある。これです。 鼓童の元気には、観客の記憶に訴えかける質の「元気」が含まれている。今年の鼓童との照明作業、大きな宿題が残ったことに気づきました。 (2007/12/22) |
岩村原太の「万国文化中心報告」の扉へ
無断転載禁止 掲載:アーク編集室