「荒木経惟 センチメンタルな写真、人生。」展

東京都現代美術館で「荒木経惟 センチメンタルな写真、人生。」展を観て来ました。(99年7月4日まで)

木場公園にあるこの美術館に足を運ぶのは、97年に開催されたポンピドー美術館展以来のこと。この春の「アクション」展や「ひそやかなラディカリズム」展など、面白そうだなと思っていても、つい木場まででかけるのが億劫で、終ってから後悔したりします。でも今回は天才アラーキーの公立美術館初の個展ということで、陽射しが夏の訪れを予感させる一日を木場公園で過ごして来ました。

美術館の3F展示室すべてが会場です。エスカレータを上がっていくとまず、モノクロームの空とグロテスクなまでに鮮やかな色彩の花々が目に飛びこんできます。でもそれはイントロダクション。展示室に足を踏みいれると、そこにはとにかく膨大な数の写真、写真、写真。第1室から第7室までが、年代にそってそれぞれ《センチメンタルな旅》、《TOKYO NUDE+冬へ》、《エロトス》などなど、作品のテーマごとに展示されています。

私がアラーキーの写真で好きなのは、ヌードでも風景でもなくて、花。今回は第5室の入り口正面の壁面が巨大な花の写真で埋め尽くされていました。タイトルは《花陰》(1999)。その花々はエロチックでグロテスクで、とにかく美しい。美しい花の写真なんて街中にあふれていますが、ここには開ききったチューリップ、腐りかけた百合なんかもある。

どの写真からも、あふれでるような匂い。エロスと死の匂いにむせかえりそうになって、思わず誰かの優しい手に触れたくなります。

第3室の《終戦後》(1973)も私にとって思い入れのある作品群です。展示されているのは93年に物置から発見された2冊の古いコンタクトブックを拡大コピーしたものだそうですが、実はこのオリジナルを手に取って見たことがあるのです! 場所は世田谷美術館の収蔵庫。この春の恒例イベント、ミュージアムオリエンテーリングで美術館の裏側を探検したときに、収蔵庫で特別に見せてもらいました。ネガも紛失してしまったというそのオリジナルプリントの迫力といったら!(世田谷美術館の普及プログラム、「タノシサハッケンクラス」についてはいずれあらためて、報告・紹介させてもらいたいと思ってます。ほんとに楽しいから。)

ちょっと横道にそれてしまいましたが、こうしてアラーキーの写真を見ながら感じたことは2つ。

一つは、ここにある亡き妻やヌード、風景、静物といった対象に向かうアラーキーの「私」そのものが彼の写真なんだな、ということ。彼が「私写真」という言葉を好んで用いる理由はそういうことかな、と思います。

そしてもう一つは、現在のアートシーンでいろいろな意見があるのだろうけど、やっぱりアラーキーは天才だ!ということ。自分で自分を天才だという人は、神を信じる人だと私は思っているのですが、カタログにこんな言葉があって、我が意を得たり。

    「写真というのは、最初から他者が入り込んでの行為だから。

     たとえば神という他者とか、自然とかいう他者とかさ。」

蛇足ではありますが、私は彼のヌード写真はあまり好きではありません。単に好き・きらいの問題ではありますが。だって、正視できないですよ!まっ昼間から。(見たけど。)

蛇足ついでに現代美術館のレストランについて。せっかくのおしゃれなシチュエーションが台無しの内装、インテリア、料理。イエローカードです。ミュージアムショップは現代美術に関する書籍や画集、過去の展覧会の図録がたくさんあって、こちらは大満足でした。

その日の午後の木場公園は、ベンチで休むサラリーマン、おにぎりを鳩にわけてやってる初老の男性、カメラを向け合う若いふたり、ジョギングを始める女性・・・都会の喧騒の中で、そこだけぽっかり時間が止まってしまったよう。

まさに「東京日和」でした。


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