訪問記
岡本太郎記念館・池内美術レントゲンクンストラウム
岡本太郎記念館
HP:http://www.taro-okamoto.or.jp/
池内美術レントゲンクンストラウム
暑かった夏の疲れがでたのか、涼しくなって調子にのってあちこち出歩いたせいか、体調をくずしてしまいました。じっくり本を読んだり音楽を聴いて過ごそうと思うものの、どうも気力がついていかず、思考もはたらかず、日々の生活に追われて時間ばかりが空しく過ぎて行きます。健全な精神は健全な肉体に宿る、というのはまさに真理のようです。もっとも私の精神は健全とは呼び難いものらしく、趣味・嗜好の話を友人たちとしていると「変わってる」と言われることがままあるのですが・・・。
しかし、この人以上の「変わった」人がいるだろうか、という芸術家の美術館のことを今日は少し。表参道にでかけ、岡本太郎記念館に行ってみました。
万博の太陽の塔や、「芸術は爆発だ!」でおなじみの岡本太郎。彼が1996年に84歳で亡くなるまで四十数年間、アトリエ兼住居として過ごした空間が、改装スペースも加えて一般に公開されています。すぐ近くにはおしゃれな家具ショップやブティック、でも一昔前にはきっと静かな住宅街だったのだろうな、と思わせる青山界隈の一角です。訪れる人を「ひっそりと」迎えてくれるのを期待していくとこれがびっくり。門をくぐって右手の庭はいきなりトロピカル。奇妙な動物のオブジェやら釣り鐘(!)やらがあちこちに点在していて、子供達が奇声をあげて走りまわっている、といった具合。
ロビー正面のブロンズ《縄文人》がこれまたびっくり。彼は縄文土器から強いインスピレーションを受けたのだそう。縄文土器の装飾文様や土偶は縄文のひとびとの呪術的信仰を象徴するもの、と何かで読んだ気がします。とすると、これは縄文のひとびとの祈りの形なのでしょうか。それとも祈りをささげる対象(つまりは神?)の姿なのでしょうか。作家の前に現れたイリュージョンがそのままそこにあるような不思議な形体。「縄文土器論」という有名な著作もあるということです。著書はエントランス左手のミュージアムショップに揃っていますから、いつか読んでみようかと思うものの、視線にとびこんでくるのは手の形をした椅子のミニチュアやらヘンテコなカップやら奇抜なスカーフやら、なにしろここは不思議すぎる空間だ!
ショップに驚いていてはエントランス右手のサロンに足を踏み入れられません。作家の等身大のフィギュア(いきなり目があって心臓が止まりそうでした)、自らデザインしたテーブル、椅子、時計などなどがかつては応接間だったスペースに所狭しと置かれています。そしてその奥は吹き抜けになったアトリエ。膨大な数のキャンバス、愛用の筆や絵の具。画家の尋常ならざるエネルギーが今もそこに充満していて圧倒されるばかり。パンフから彼の言葉を引用してみます。「どうして芸術なんかやるのか−−。創らなければ、世界はあまりにも退屈だから作るのだ。」
二階は展示室になっていて約三ヵ月単位でテーマを定めた油彩や版画、彫刻が展示されるスペースです。10月6日からは「TAROのピエタ」展が開催されます。ピエタとは十字架からおろされ、息絶えたキリストを抱く嘆きの聖母像。ちょっと意外なテーマで面白そう。
このアトリエは戦後、作家の友人でル・コルビュジェの愛弟子だったという坂倉準三が設計したもの。改装部分が美しく調和していて、古いのだけれどその古さが魅力につながっている、という印象です。芸術は爆発だ!と叫んだ作家の閃きとエネルギー同様、建物の魅力もまた現在進行形で存在している、そんな空間でした。「非日常」なんていう言葉では形容しきれません。
さて、ちょっとくらくらしながら青山界隈のギャラリーを覗いて表参道の駅へ向かうことにします。アート好きな若い友人に薦められて「池内美術レントゲンクンストラウム」を探してみました。
一体どこに?表参道の喧騒を離れた路地裏にあって、サインボードもありません。まさに現代美術の隠れ家。扱っているのは小谷元彦、渡邊英弘、ヤノベケンジ、サイモン・パタソンなどなど。インパクトの強い作家の作品が四畳半の閉鎖されたスペースに展示されています。オーナーがもともとお茶道具屋さんだったそうで、このフォーマットはお茶室!作品と一対一で対峙する緊張感を味わえますが、なにしろ不思議な作品ばかり・・・。
かなりパワフルで不思議な午後を過ごしてしまいました。来週あたりは少し無口なアートに出会いに行きたい気分。最近写真展を見ていません。モノクロームの写真がいいな。その前に体調がよくなるとよいのだけれど。
Oct. 2, 1999 Sumitani
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