展覧会レポート

世田谷文学館「瀧口修造と武満徹」展

Exhibition Report / SHUZO TAKIGUCHI and TORU TAKEMITSU at Setagaya Literary Museum

会期: 12月5日まで 
開館時間: 10:00〜18:00 (入館は17:30まで)
休館日: 月曜日
料金: 一般500円、高校・大学生300円、小・中学生200円

よくでかける世田谷美術館には、世田谷文学館という姉妹館があります。文学館というのは作家の手書き原稿や、遺品(ペンとか眼鏡とか)が展示してあるところで、なんとなくお墓参りにでも行くような場所、という先入観があって一度も足を運んだことがありませんでした。

でも今開催されているのが「瀧口修造と武満徹」展。シュールレアリスムの詩人、瀧口修造の詩はちょっと難解ですが、作曲家武満徹の美しいピアノ曲「遮られない休息」は彼の同名の詩のイメージに触発されたもの、と読んだことがあります。それに瀧口は自ら絵も描いたはず。随分前に訪れたことのある、彼の出身地の富山県立近代美術館にはジョアン・ミロとの親交に焦点をあてた収蔵作品がたくさんあったはずです。

その二人の名前の並んだ展覧会、これは刺激的です。京王線の芦花公園駅からすぐのところにある世田谷文学館。色づいた落ち葉を踏みしめながらでかけてきました。

この展覧会は、瀧口修造(明治36年−昭和54年)の生涯を、《文学》、《映画》、《美術》のテーマに分けて武満徹(昭和5年−平成8年)との交流を交えて紹介する、というもの。シュールレアリスム(超現実主義)が日本の大正末期・昭和初期の詩や美術に刺激と影響を与え始めたとき、瀧口をこの運動に傾倒させたのは、青年の限りない自己解放の夢だったのでしょうか。

展示は期待通りに完成しなかった美術映画「北斎」の原稿、台本、などの制作資料から始まります。やはり美術の展覧会とはちがって、ガラスケースの中の黄ばんだ書類をながめるのは戸惑いを覚えます。武満徹が音楽を担当した映画のポスターなどをふうん、、、と眺めながら歩を進めると、詩集「瀧口修造の詩的実験」の原稿や初版本などの並ぶコーナーへ。この辺から面白くなってきました。

「詩」ではなく「詩的実験」。武満徹が昭和26年に美術・音楽・文学などジャンルを超えたメンバーと総合的な芸術活動を目指すグループを結成したとき、そのグループを「実験工房」と命名したのが瀧口です。武満は「瀧口修造の存在なくしては作曲家としての私はいなかった」と後に回想するほど影響を受けた、ということですが、瀧口のいう「実験」とは一体どんなことなのかしら。答えは見つかるでしょうか。

「詩的実験」の原稿には「妖精の距離」とか「遮られない休息」などのタイトルの詩が読みやすい字で書かれていて、お約束のように展示されたペンや眼鏡も、そこに詩人の魂が存在しているとでも言いたげです。ここは決して芸術家の墓場ではない、ということをあらためて感じます。「地球創造説」という初期の詩の原稿も展示されていて、帰ってから読み返してみましたが、次々にあらわれては消えるイメージを機械的に連ねていったような詩句には、海図に載っていない海にすすんで漕ぎだそうとする若さを感じ、圧倒されます。

そして面白い《美術》作品が並ぶコーナーへ。炎がつくる焼け焦げとか、さまざまなインクのしみとか、そして深遠な偶然の美を表現するデカルコマニー(転写画)などが展示されています。デカルコマニーは不思議な魅力を湛えた作品です。彼の詩のなかに「宇宙青」という言葉がありますが、私は「宇宙青」とはどういう青なのかわかりません。でも、彼自身の生命の焔の色は、こういう青であり、赤であり、黒だったのかもしれない。

それ自体が面白い《美術》作品の数々ですが、そこにあるのは詩人の余技ではありません。展覧会場をゆっくりまわっていると、詩人であり、美術家であるという定義はあいまいであまり意味の無いものに感じられてきます。彼の生とは、安直な完成とか解消を拒絶して、たえず創造の世界へと自らを駆り立てる連続だったのでは。そしてこれを「実験」と名付けてもよいのではないでしょうか。

武満徹との交流を紹介するコーナーでは几帳面な往復書簡などが展示され、作品を収録したCDを聴くこともできます。「遮られない休息」は、詩人の自筆原稿と作曲家の自筆五線譜を、音楽を聴きながら見ることができるというわけです。追悼に際して作曲された「閉じた眼」という作品はやはり瀧口の詩からイメージされたものです。

    夢は終ることがないように、
    閉ざされた双眸は凝視し続ける。
    半ば開かれた唇から放たれた言葉の杖は、
    永遠と無限の距離を飛翔し続ける。
    ・・・・・・

二階は武満徹のコーナーになっていて、彼の映画音楽を紹介するビデオの上映や、リズムあふれた文章のエッセイ集を装丁した宇佐美圭司のリトグラフのなども展示されています。蛇足ながら私は武満徹の書く文章が大好きで、触発されて一時期、現代音楽に傾倒したことがあります。メシアン、ブーレーズ、クセナキス、ジョン・ケージ、、、。いきなり耳にすると難解で心地好さを感じることはないかもしれない現代音楽も、水先案内人の一言があるとまた違った受け止め方ができるようです。だんだん聴かなくなってしまいましたが、また聴いてみようか、という気分になっています。

受付前には二人の著作が並んでいて、瀧口の「詩的実験」(復刻版?)や、武満の最期のエッセイ集(入院中に描いた空想の献立のイラストが面白い)など、手に入れることもできます。

土曜日の午後、静かな静かな時間をすごしてきました。入り口横の広いロビーは大きなガラス窓で鯉の泳ぐ池に面しています。文学サロンでは定期的に作家たちによる自作の朗読会なども催されています。


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