Arts Calendar/Art's Report site/《Sumitani World》TAIZO YOSHINAKA

展覧会レポート

渋谷区立松涛美術館「戦後美術を読み直す 吉仲太造」展

Exhibition Report / TAIZO YOSHINAKA Rethinking of Japanese Art since 1945 at The Shoto Museum of Art

会期: 2000年1月30日まで

強い北風が透明な空気をきらきらと破壊していく午後。渋谷の喧騒を離れて、松涛美術館にでかけてきました。「戦後美術を読み直す」という「吉仲太造展」が始まったばかりです。

吉仲太造(1928-85年)は京都に生まれ、行動美術研究所で美術を学び52年に上京、反骨の精神を貫いて戦後美術を生き抜いた、と紹介されています。徹底してモノを描き続けた彼の作風の変化を辿ることは、変貌を続けた日本の戦後社会の精神の軌跡をたどることである、というこの展覧会。会場に足を踏み入れた途端、ゆるやかに湾曲する壁面にかけられた物言わぬ作品群から、突然不意打ちをくらうように問いかけられた気がしました。「君達はここへ近付いてくるのか、こないのか」と。

とにかく様々な作風の作品が平然と年代順に並び、これがひとりの作家の仕事なのか、と頭がくらくらする思いです。おそるおそる混沌の世界へ近付いてみることにします。新聞の株式欄などをコラージュした作品をまず目にして、これは繁栄する経済社会へのアイロニーなのかしら、と思うと振り向きざまにまるで岡本太郎ばりの色彩の「タコ」を主題とした連作。

キャンバスに釘を張り付けた作品が続きます。何本かを束ねて規則正しく配置した作品や、釘の束の隙間にボタンやリボンを張り付けたもの、繰り返されるパターンがマンダラの様に見えるもの、鋭い光を失わないままの釘、錆びるにまかせた釘、どれも「釘」というモノたちの存在感がせまってきます。しかし、作品の前に立っていると、この釘には何も意味もないのだ、と耳元でささやきかけられる気がします。存在が「空っぽ」であることを誇示しているということは、これらは墓標?「死の売り声 Dead Seller's Cry」(1963) という作品のタイトルにどきっとします。

64年から67年にかけては新聞紙の切り抜きを貼り込んだ下地のレリーフ的なコラージュ作品。どれも数字の氾濫する新聞の株式欄です。「大いなる遺産 Great Legacy」(1965)という作品は、人々を翻弄する実体のない数字の上に巨大な洋服の型紙が浮かびあがり、片隅には「巨大な女カラ」という黒い便せんに白インクでしたためられた遺書。その絵を前に戸惑う私たちの背後に冷ややかな笑いを浮かべる画家のまなざしを感じ、不気味でさえあります。神経質な筆跡のその「遺書」を読もうと近付くと型紙は意味のない一本の線に変貌します。離れてみると型紙のカタチは見えてくるけれど、数字も文字も意味のない模様に変貌してしまう。私たちは何処に立てばいいのだろう。

およそ想像もつかないさまざまな作風の変遷を経て、2階の展示室に上がると、そこにあるのは白い絵(1973-84年)。白色というのとは違います。色彩がない、というのとも違う気がする。色彩が否定され削ぎ落とされたその世界は「非色の逆説」と呼ばれたそうです。そこには、日常のありふれたモノが静かに現れているのだけれど、それらモノたちと、白い余白の空間が均衡を保って描かれています。その均衡の理由は、どちらも「無意味」である、ということかもしれない。

いったいどうやって描かれたものなのか、下絵の木炭の線と白絵の具が混ざっているのかと思いましたが、図録を読んでみると驚くような技法の説明が書かれています。

まず白絵の具を盛り、絵の具のレリーフでカタチを作り乾かした後、全体を黒く塗り潰してしまう。そして今度はオイルを含ませた布で黒をぬぐい去っていくと下の白が現れ、ぬぐいきれなかった黒が絵の具のレリーフのカタチに染み付いて浮かび上がってくる。

生涯、重いうつに苦しんだという画家が最後に到達した世界は、静かで、全てが消滅した「死」の世界に限りなく近いけれど、今という時代に向けて語りかけてくるものは強烈です。すべての果てにある「無」。しかし、それらを見つめる世紀末の私たちは、どこかでほっとするものを感じてしまう。冷ややかな微笑が与えてくれる逆説的な安心感と優しさとでもいったものを手に入れて。

図録には画家の鋭い思索の言葉があふれ、絵を眺めるのと同じように時間をかけて文字を追い続けてみます。「白昼コウゼンとわたしは無価値なものの側にかけたかったのだ。」「何も描かれていないもの、作られていないものでありながら、はっきりとその存在をしめしているもの、それをそっと自分の中に入れてみたいのです。」「描いているということは、描かないことに到達することだと思うのだよ。」・・・

一見ばらばらで分裂症的な作風の変遷も、見終えてみるとひとりの画家の強い個性のたどった必然のように思えてきて、謎解きのあとのような心地好ささえ感じてしまうのは私だけでしょうか。おそるおそる近付いてみた混沌の世界を抜けてみると、意外にもそれは安らぎにも似た世界への道標だった、そんな感じのとても魅力的な展覧会でした。

松涛美術館は静かで落ち着いた雰囲気の美術館です。花崗岩におおわれてまるで中世の城のようなイメージの外観。館内は円形の吹き抜けになっていて中央部にはブリッジがかけられ、その下には噴水が設置されています。2階はソファに座って作品を鑑賞しながらくつろげるカフェもあり、都会の喧騒を忘れることができます。

帰り道、渋谷の街はクリスマスとミレニアムを祝う雰囲気でお祭り気分。私はクリスチャンじゃないんだけどな、と天の邪鬼なことを考えながらも、大切な人への贈り物を何にしようか考えたり、自分へのご褒美もひとつくらいは、と考えたりする時間はとても優しい気持ちになります。

Dec. 9, 1999 Sumitani


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