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vol.86

2002年3月の東京国立博物館
本 館-「平常展」
平成館-「没後三十周年 松永耳庵コレクション展」

2001年冬。時間を見つけては、展覧会、美術館に足を運ぶものの、ことごとく玉砕。
興味があって出掛けていくのだけど、行けば行くほど、ストレスが増すばかり。ゆっくり見たいと思えば、それなりに空いた時間を見計らったり、ロッカーに荷物を預けて万全の体制を整えて。今度こそはと思っても、この「はずれ」の多さは一体なんだ?というほど。
どこの美術館にも共通して思うことは「並べりゃいいってもんじゃない!」。人がどう動くだろうって、シュミレーションしないのかな?

そんな気分だったので、私にとっては一番おちつけるところ、と東京国立博物館に行く。平成館ができてから、本館は平常展だけのことがほとんどで、空いてる。はずだが、同じ敷地内の平成館でやってる「横山大観展」で、上野駅の公園口から混んでる。券売所でも長い列ができている。「大観は去年、足立美術館展で観たもーん」で、平常展と松永耳庵展だけのチケットで入場。まず地下のミュージアムショップをひやかす。行きたくても無理な、遠方の展覧会のカタログもたくさん揃っているので、たまに覗くと楽しい。私の回りで大ヒットの「埴輪-踊る人」携帯ストラップ以上のグッズは今回みつからなかったが。

テンション高いうちに、混んでいる平成館を見ておく。本館の廊下から裏庭が見えるのだが、その裏庭にある茶室「春草虞」が松永耳庵ゆかりのもの。原三渓から贈られ、国立博物館に移築された。いつもガラス越しに眺めながら、「裏庭はどうやって行くんだろう?」と思っていた。会期中、見学ツアーをやっているというので案内を探すと『外観のみ見学』だそうだ。「なら、いい」裏庭のしだれ桜は7分咲きといったところだけど。ちょっとくらい覗かせてくれたっていいじゃない。と早くも凹み気味。

松永耳庵とは、電力会社を創設するなどした、政治家・実業家でもある松永安左エ門の号である。60歳から始めた茶の湯を通じて、膨大な美術品の蒐集をした人で、そのコレクションを紹介する展覧会だ。
コレクションは、とにかく膨大で多岐にわたっている。蒐集の前期に所有した美術品は国に寄贈した。その後も再び蒐集に取り組み、晩年に蒐集した美術品は生地である福岡の福岡市美術館に寄贈された。

書画、骨董、仏教関係の絵画や像があり、尾形乾山の掛け軸も平安時代の「釈迦金棺出現図」も。なんでもかんでも、みんなこの人が持っていたのかという驚き。しかし、キャプションを見て、「ああ、これが」と思っても、現物に感動はおこらない。大小さまざまの、100を優に超える点数をぎゅうぎゅうに押し込めて並べてあっては、味が濃すぎて感覚がマヒしてくる。いや、大味で、ではない。やはり展示方法にストレスを感じて、作品に集中することができなくなるのだ。展示ケースは高すぎるし、キャプションを読む人がいると、作品が遮られて見えなくなる。そして、人の流れが止まる。

展示の責任だけではなく、美術館での振る舞いを考えない人が多すぎるというのも一因ではあると思う。横山大観の名前に誘われて、博物館に初めて来たという人もいたと思う。それで美術鑑賞が趣味になるきっかけにもなるでしょう。でもね、大きい声でおしゃべりするところではないし、的外れな解説を声高に講釈するのはやめたほうがいい。渋滞してる中、いつまでもガラスに額を押し付けているのはどうだろう。暗記できるほど長い時間キャプションを読み、挙げ句に作品を見ずに次のキャプションに移る。メモをとろうとして、バッグの中をかき混ぜるなら、一度、作品の前から退いて欲しい。無料のロッカーがあるのだから山登りに行けそうなリュックは預けよう。…イヤでも聞こえてくる話声によると、こういう人たちは「ほら、このあいだ行った何とか展でも、」なんて言ってる。初めてじゃなかったのね、学習しようよ。。。

ストレスの沸点を越え、あまりにも冷静にコレクションを眺め、まったく感動しない自分に驚く。仁清の茶壷だよ?わかってる?
売店でカタログを見る。こっちのほうが実物よりもきれいな写真。展示では見えない角度から撮ったものもあり、わかりやすい。
出品の半数ほどは東京国立博物館が所蔵しているもので、平常展でみたことのあるものも多数ある。そこでは季節に合わせたり、企画に合わせたりして、すっきりとシンプルに展示されている。さまざまな角度から覗き込むこともできる。飛び上がったり、しゃがみこんだりすることなく、全体のすがたを見ることができるのに。このまま帰っては犯罪に結びつくしれないので、平常展を見に本館に行く。

自分の足音にどきりとするほど人がいないときもあるが、きょうは本館もとばっちり(?)で少し混み気味だ。しょっちゅう行ってるから、展示品は見たことのあるものばかりだけど、ぐるっと回れば初めて見るものや、美しさに気付かなかったものもある。時々によって、「今日みたかったもの」も変わっていく。いつも変わらず好きなものもある。

素っ気ないほど無造作なようで、ケースのガラスはいつも綺麗に磨き込まれているし、どの作品も「よく見えるように」置かれている。綺麗になってると、綺麗なままに見ようと思うものだよね。国立博物館の敷地にある、本館、東洋館、表慶館は展示に個性がないようでいて、見やすさ、歩きやすさに安心感がある。逆に法隆寺館は、斬新であり、また見やすさにおいては感動的でさえある。いいお手本がすぐ傍にあるんだから、頑張れ平成館。

今回は、「近代彫刻」をほぼ初めてきちんと見た。近代彫刻は、あんまり興味のない近代の洋画と日本画の展示室にあり、いつも素通り気味に通り過ぎていたのだけど、展示室の入り口を覗いた時に気になるライトがあり、ふらふらと。3つの彫刻が落ち着いた照明の展示室の中央にぎゅっと置いてある。どれも少し高めの台に乗せてあり、見上げるくらいの角度で、木肌の美しさ、木目の妙を見るには、この高さがちょうどいいような気がする。

中でも「後藤貞行作-馬」が美しかった。皇居前広場の楠木正成像の馬のための習作とのことだけど、濡れたように光る馬の肌の質感が木の輝きと相俟って、湯気の立つような体温と湿気を感じる。筋肉の躍動を表現するために解剖も観察したという。後足に重心をおいたブレーキをかけた瞬間のような馬のポーズ。動作のなかの一瞬を切り取るスピード感はないのだけど、きっちりと静止している不思議なバランスは、見飽きることがない。そして、この馬にあてられたライトに感心。照らしている元を探すと、他の彫刻、絵画を無視するかのように、展示室の壁から3つのスポットライトが馬だけを浮かび上がらせる。湧き立つ雲の間から現れる神馬のような気高さを演出している。

本館では、作品の背景や作られた年代等の属性よりも、ただ純粋な「印象」で作品を演出しているような気がする。この「馬」にしても皇居前広場、楠木正成というキーワードを無視して、ただ美しい馬として置かれていて「綺麗だね」と溜息をつかせる。

そして、行けば観ずには帰れない仏像の展示室へ。何年か前に改装されてから、仏像の展示がなかなかいい感じになってる。人の背よりもずっと大きな三尊像は、厨子のような木製のケースに囲まれて、寺院に置かれているのに近い感覚で見られる。夕陽のような明度のライトもいい。人くらいか、もっと小さい仏像は、四方がガラスのケースに入っているが、背中のほうまで良く見え、いちばん美しい角度、好きな角度からじっくり見ることができる。ビジュアル系仏像が多いのも、嬉しいんだが。

3月31日まで、仏像の展示室の隣に東京の高幡不動金剛寺の「不動明王・二童子像」が展示されている。平安時代の仏像で、黒々とした巨大な不動明王だ。大きな仏像は、バランスが崩れやすいのか、大味になってしまうものも多いのだけど、これはかなり「かっこいい」仏像で、力強く迫力がある。展示室に一歩ふみいれた瞬間に息を飲んでしまうほどの迫力と驚きも演出の成功かもしれない。

2002年3月16日


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