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Vol.61
公演直前インタビュー「二兎社・永井愛さん」

世田谷パブリックシアター提携「二兎社」公演
【萩家の三姉妹】
作・演出:永井愛
11月4日〜19日

永井愛さん。「二兎社」の主宰で、劇作家、演出家。オープンな人だー。『最後はこんなふうになるの』はじめて舞台に乗るお芝居のラストシーンをちらっと教えてくれる。そんなこと教えてくれちゃっていいんですか?知ったとしても、「面白そう、観に行こう」という気持ちが薄れることがないのが、演劇の面白いところ。そして、どんな人が作っているのか、を知るとその人の目、手といったフィルターまでもが見えるようで楽しみが倍増する。 【萩家の三姉妹】の稽古中に、永井愛さんにお話を伺ってきた。

【萩家の三姉妹】は、西暦2000年の1年間を春、夏、秋、冬と三姉妹が三者三様に葛藤して成長して、新しい年の幕開けを迎えるそうだ。チェーホフの「三人姉妹」を下敷きに、フェミニズムを核として、不倫、パラサイト・シングルという現代ならではのモチーフがちりばめられた喜劇。

『女性、っていうのと恋愛を書きたかったの』
登場する三姉妹は三者三様の生き方をしている。「生き方」と自覚しているのは、フェミニズムを専攻しながらも不倫相手に従う恋愛をしていた長女だけかも。
『長女は、頭の中には新しい思想があっても、「女は女らしく、男は」という中で育ってきてる世代。心の奥の、頭と同じわけにはいかない部分で恋愛してるのよね。』
三女は、パラサイト・シングルで「カレシ」もたびたび変わってという楽な生き方。
「三女のほうがよっぽどフェミニズムを実践している?」
『長女が頭で考えていることを、三女の世代は、軽々と実践している部分があるんですよね。思想ではなくて子供の時から、自然にそういう中で育ってきてるの』
永井さんの言葉ではないのだが、【萩家の三姉妹】は、ギャップがテーマのひとつなのかな、と思う。

永井さんは、94年から戦後生活史劇三部作を作、上演してきた。60年代、40年代、70年代という時代を取り上げた。
「60年代、というとおそらく、永井さんの物心ついた、という辺りのお話じゃないかと思うんですが?印象に残る事件が影響しているとか?」
『子供時代が背景にあるけれど、具体的な事件ということではないです。』
『子供が何人か集まって、遊びっていうと電車ごっこなんか始まるんです。60年安保で世間が騒がしかった頃は意味がわかってなくても、繋がって歩きながら「安保反対!」なんて言ってた。』
『家庭にテレビや電話が入り始めた頃で、電話はよその家に借りにいったり、呼び出してもらったりだったから、プライバシーなんて筒抜け。うちがテレビを買ったら、もう近所の人が見に来るのね。そうするとコミュニケーションが生れるのよ。人が集まっちゃったから、仕方なくコミュニケーションなのよ。』

ほとんど世間話のノリに近い。でも、こういうお話を聞いてるほうが面白い。「お芝居を作る時には?」という質問でなくても、永井さんのベースにあるものが見えてくる。この60年代の東京の風景から永井さんが始まっているんだ。「戦後生活史劇三部作」の前はずっと現代を取り上げていたそうだ。しかし、現代を作っている人が通過してきた過去を見なければ、現代は描けないという視点から、「戦後生活史劇三部作」を書かれた。

永井さんはおばあちゃん子だそうで、そのお祖母様が100歳になられた時に『100年でしょ。明治、大正、昭和に日清、日露、第一次大戦、第二次大戦を経て現在に至る、でしょう。この人はどういう時代を生きてきたのかしら?』というところから明治時代の師範学校の女生徒たちを描いた【見よ、飛行機の高く飛べるを】を書かれたそうだ。『だって、それって私の中にも受け継がれているんだもの』

「では、お祖母様がモデル?脚本を書く時にモデルを想定して書かれるんですか?」
『「見よ、」は、祖母の少女のころの時代を書いているけど、群像劇だったし、祖母をそのままモデルにしているわけではないです。』
「ゼロから人を作り上げていくんですね」
『モデルはいないけど、周りにいる誰か、が少しずつ入ってるの。身近な面白い人が言った面白い一言をセリフに借用したりすることはあります。』
「当て書きはしますか?」
『こういうお芝居にしようという方向性が決まった時点で、役者さんを決めるので、そのつもりはなくても当て書きっぽくなりますね。今回の【萩家の三姉妹】では、長女に余さん(余貴美子さん)が決まって、それで余さんに言ってもらいたいセリフっていうのを書くことはありました。』
「逆に予期しない一言って飛び出すことはありませんか?」
『役者さんの思わぬ言い間違いから、いいセリフが見つかることもあります。また、役者さんの言い方が不自然で、このセリフは違ってたなって気付かせてもらうこともあります。どんなに上手な役者さんでもセリフが悪いと棒読みだったり。』
「他の劇団にも書かれていますけど、二兎社とは気持ちが違いますか?」
『そこの役者さんにとっても、いつもと違うわけで、それを役者さんたちが楽しみにしてくれてるのが、楽しいですね』

【萩家の三姉妹】のチラシの写真には、古いけれど手入れの行き届いた日本家屋が使われている。庭に向かって開け放したガラス戸からの光がピアノに写る様子、障子を通した柔らかな暗さが懐かしく、心地よい。「ああ、疲れた。やっぱり、うちが一番いいよねぇ」という声が聞こえてきそうに、三人分の服が鴨居にかけられている。
意外なことに東京のど真ん中にある場所で撮られた写真だそうだ。そこで脚本を書く人もいるそうで、「永井さんもそこで書いたりなさるんですか?」
『私は自分の家でないとダメ。』
執筆の時は、自宅の机の上でなければ書けないそうだ。『作品の入り口が見えてくるまでは、散歩したり、掃除したり、いろんなことしながら、そこを探すのね。あるのはわかっているんだけど、入り口に辿り着くまでが大変で。』
「迷路、みたいですね」
『そうね。途中だけを見ると遊んでいるように見えちゃうんだろうな』
「頭から、順を追って書かれるんですか?」
『できた場面から、とかラストから書かれるかたもいるけど、私は頭から、ですね。』

2000/10/13 世田谷パブリシティ稽古場にて。

最後に、稽古場で打ち合わせ風景を撮らせていただく。稽古場のあちこちに散らばっていた役者さん、スタッフがあっという間に集合して、打ち合わせが始まる。「侵入者」までもが居心地のいいところに、集中力と緊張感がある。その雰囲気を演出しているのが永井さんなのだろうと思う。

2000/10/13  世田谷パブリックシアターにて


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