Arts Calendar/Art's Report site/《WADA Map》HOROBASYA
演劇レポート
劇団《トリのマーク》(通称)
『幌馬車とコーヒー』
2000年4月1日、2日
東京・武蔵小金井 ギャラリーブロッケン
例えば、風が作る波紋。雨粒のクラウン。自分のすぐ側にあるそんなものに気付き、じっと見入ってしまう。何も考えていなくて、ただただ、へぇー、おもしろーいと「感じ」ているだけの時間。どこから生まれて、どこへ消えていくのか見届けられない一瞬のなかの物語。桜が咲き初めた週末の、「幌馬車とコーヒー」はそんな印象のお芝居。
武蔵野の小さなギャラリー。コンクリート打ちっぱなしの壁の、一部を切り取った窓。桟のないガラスを嵌め込み、外の風景を額縁の中の絵のように見せる。そこが会場。
普通の劇場でやるより、キャパはもちろん少ない。観客は30人くらいだと思うのだけど、窓があり、自然光が入るだけで、とても広々と感じる。
舞台の背景にその額縁がある。開演までの時間、屋外の緑の草の上にペザントドレスの女性(=丹保あずさ)が座り、何か小さなものを縫っている。春の昼下がりの陽光。パラソルをさした女性の絵を思い浮かべ、「この暖かさを描きたかったのが印象派なのね」と変なところで深く納得。一転して夜の回では、夕方から夜へと変わって行く外光と照明がレンブラントの陰影。セピアの濃淡に染まっていく。
自然光を使うお芝居、だというのでマチネ、ソワレ両方を観た。正解。「開演までの人物画」が見せる色彩とシンクロする。マチネでは、暖かな春の午睡とでも言えそうなゆったりとふわふわした雰囲気。ソワレはまだ肌寒い春の夜。風に花が散ってしまうのではないかと思う不安感が家の中の暖かさを懐かしく思わせる。
額縁は、お芝居のなかでも窓として使われている。馬のついてない幌馬車、木に呼び掛けながら花を咲かせる人が台詞のなかだけに登場する。客席からは見えない世界にあるはずのもの、すごく見たいんだけど。お芝居が終わって外に出た時、ついキョロキョロしたり、来た時よりも近所のお庭の花が華やかに開いているような気がする。
「トリのマーク」のお芝居は、2度目。壮大なファンタジーの小さなエピソードのそのまた小さなモチーフのひとつ。そんなお話をみせてくれる。こういうレポートを書くのにはとても難しく、役名、時、場所などの囲いがない。囲いがない分、定義に縛られないことの心地よさに酔い、漂っていく想像力を見上げていられるのだけど。
始まりもなく終わりもない、浅い眠りのなかで見る夢のような…名前も関係もわからない人たちが登場してくる。その解らなさは、「夢ってそうよね」「夢だから、ま、いいか」と眠りながらも納得してしまうようなもの。人も、人なのか、精霊か動物の擬人化なのか。何日もたった今でも「いい時間だったよなぁ」と思い浮かべる。コーヒータイム、そのもののような一時。
「幌馬車とコーヒー」のなかで、格別に印象的だったのは、ペザントドレスの女性(=丹保あずさ)。他の人に肩書きも何も見つけられないままであったのに、彼女はとても強い、母性の人。たおやかな外見とは、裏腹の強さ。周りの人を的確に操り、盛りたてて、日常という世界を守っていく。彼女と他の人の会話は、子供の頃の母親との会話をリアルに思い出す。この人の掌に「幌馬車とコーヒー」の世界が乗っかっているようだ。
「これって何だっけ?」台詞のいくつかが頭の片隅に居場所を見つけて棲みつく。ふとした時に台詞がウインクする。時間をかけて台詞の実が熟して弾ける。すると、気になって丸暗記してしまった俳句や詩の一編とともに、感情の域に引っ越してきたりして。
2000年4月1日、2日
東京・武蔵小金井 ギャラリーブロッケンにて。
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