Arts Calendar/Art's Report site/《WADA Map》Hounenin-Cello
vol.59
京都レポート 第四弾
「京都旅行四:法然院-夜-」
哲学の径をさっきと逆に歩き出すと、辺りはすでに真っ暗。時間はたっぷりと余裕があるのに、何故か早歩きになってしまいます。お土産物屋さんも閉まっていて、住宅もたくさんあるのに、街灯はまばら。「法然院」の参道も真っ暗!足元が見えないほど。そういえば、夜のお寺を目指しているのです。怖さなどまったくなくて、緑の樹木が柔らかな明るさを放っています。木々の重なりの陰影は、昼間よりもくっきりとした濃淡で水墨画のようです。
土間と板敷きの本坊の土間に一脚の椅子。ひんやりとした冷気が感じられる土間の白さ。煤けた梁、柱の黒さと土間のモノクロームの中、柔らかい灯りに照らされて、チェロ奏者大澤明氏を待つ椅子は3方向に影を延ばしています。柱時計が7時を告げるころ、廊下からチェロの調律の音が幽かに響いてきます。
貫主さんの短い紹介に続いて大澤氏が登場。特別な機材の何もない本坊に響き出すバッハのソナタ。まろやかで濁りのない音。重厚な楽器から流れ出る、自由で軽やかなソナタが小さなコンサートホールに降り積もり、熟成を重ねていくようです。余韻が成長している、と思いました。
2曲目は、黛敏郎作曲の「文楽」。最初の一音。べぇん、とその音はまさに太棹のそれ。だんだんと情熱的になっていく太棹に続くのは、義太夫節。この「文楽」で人形が舞うのを見てみたい。ヨーヨー・マがバッハで板東玉三郎と共演したものがありました。それで私の頭の中では、かつて見た人形振りの玉三郎が八百屋お七を踊る姿が甦ってきました。西欧と東洋の融合というより、一見、強引に日本に引き寄せた感のある「文楽」ですが、お互いの文化の懐の深さに感服です。正しい仲介者がいれば、手を取り合えない文化はない、とまで思ってしまう。「文楽」は、日本的な音楽かもしれませんが、ひとたび海に入れば、いろんな国と海で繋がっているのが島国だ、と逆に考えることもできるよなーと。この場にいる自分を思うと、どんどんミクロに吸い込まれていく曼陀羅が、一瞬、理解できたような気がしました。
休憩の後の3曲目は、コダーイの「無伴奏チェロソナタ8」。高音の余韻のなかに響く低音が印象的。改めてCDで聴いてみると重厚な印象の曲が軽やかに聴こえたのは、会場の雰囲気がリラックスしていたのと、「ここにいられる自分」を皆がハッピー!と思っていた和んだ空気のせいだったのかも知れません。本坊に種をまいて、その種がそれぞれのペースで育っていく。やがて「法然院」を囲む深い緑のように大きな木になっていくのが見えるような、有機的な1曲でした。
プログラム上は、3曲のみでしたが、アンコールで、バッハの無伴奏ソナタ3番のブーレを聴かせてくれました。明るい舞踏曲に月までも本坊に入ってきて、弾んで踊っていたかのようでした。その夜の月がどんな月だったのか、見たのかどうかさえも思い出せないのですが、ずっと月明かりに照られ、見守られていたような気がします。気分のうえでは、満月だったのですが…。
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