森泰人トリオ
5月27日
東京建物八重洲ホール

ベース:森泰人
ピアノ:ラース・ヤンソン
ドラム:アンダース・シェルベリ

「ラース・ヤンソンのこと」

東京駅八重洲口を出て、歩いてほんの3分ほどのビルの地下に”東京建物八重洲ホール”がある。

教会を思わせる造り。白い壁に磨きぬかれた木の床。キャンドル風のシャンデリアに背もたれの高い木の椅子。桟敷風の2階席。10数cm高くなっただけのステージにグランドピアノ、年代もののウッドベース、シンプルなドラムセットがプレイヤーの登場を待つ。

ラース・ヤンソンのピアノから、始まる。軽やかで、明るいメロディーに「ラース・ヤンソンって、こういう人なんだ」となんだか気分が落ち着いていく。CDの音でしか知らなかったピアニストが楽しそうにピアノを弾く姿をまじかに見て、こちらも楽しくなる。これからのライブのあいだ、流れてくる音をただ受け止めるだけにしようと思う。CDで聞いていた印象は、思索的な雰囲気。緊張のライブになるのだろうかと少しの心配もあったのだけど、1曲目のほんの数小節、音が流れただけでそんな気分も吹き飛んでしまう。

ピアノとドラムはスウェーデンのプレイヤー。いつもは、同じスウェーデン人のベースとトリオを組んでいるとのことだけど、今日のベースはスウェーデン在住の日本人、森泰人。

縦横に走りまくるピアノにベースとドラムが加わる。ラース・ヤンソンのピアノは風みたいだ。雲に乗り、風を時に強く、時に弱く、あらゆる方向から吹き流す。森泰人のベースは、自然の流れに畏敬の思いを持って暮らすいきもののようだ。風の気まぐれに振り回されそうでも生命の地盤を守って歩んでいく。アンダース・シェルベリの、耳にとても心地よく響くドラム。彼は雲だろうか。風の気まぐれに流されているようでも、実は風を乗っけている。

3人のバランスがとても素敵で、そんなことを考えながら聴いた1曲目。興に乗り、ラース・ヤンソンはピアノの弦を指ではじいたり、楽譜を振って音を出したり、自分の頭やお腹を掻いてその擬音を呟いてみたり。フリージャズとは違う、そんな”おちゃめ”が自分もお客も皆楽しもうという気持ちの現われのようだ。

曲の合間のMCでも、楽しい話をしてくれる。(英語→ボロボロのヒアリングなので、かなり怪しいけど)禅に興味があるとか、そういう話が森泰人から出るとピアノの前で、座禅を組む真似をしてみたり。「ミロも、ピカソもカンディンスキーも友達なんだ。皆あっちに行っちゃってるんだけどね。」と”上”を指差したり。俳句、特に小林一茶に心酔しているというラース・ヤンソンの一茶へのオマージュでは、外の強風のため、演奏中に絶妙のタイミングで、どこかが共鳴する音が聞こえた。すると、すかさず「一茶だよ!」。スウェーデンのピアニストに持っていた先入観が壊れていく。とにかく楽しもうよ、楽しくなきゃ。そういう気持ちを音楽にしてこちらに放ってくる。お客もその気持ちを受け取るだけでなく、また投げ返すといったやりとりが、キャパ100人ほどの小さなホールにあふれていったように思う。

禅も一茶もテーマは「自然と一体になる」ということなら、それがラース・ヤンソンのスタイルなのじゃないかと思う。いや、一体になるのではなく、ピアノに向かっている彼は、その時だけ神様なのかも知れない。風を起こしたり、雨を降らせたり自在に操れるのだから。子どものころ、お天気はいつも自分の味方だったと思い出した。風でも、雨の日でも何かしら楽しいことが見つかって、いろんなことを教わったのだったと。きっと、彼にとってはお天気の気まぐれも子どものころと同じ、自然からのプレゼントなのだろう。ラース・ヤンソンのピアノの音は、プレゼントのリボンをほどく時のドキドキ、わくわくする気持ちの弾むようなまあるい音だった。

このトリオのリーダーの森泰人というベース奏者は、スウェーデン・イェーテボリ在住で”スカンジナビア・コネクション”として、スウェーデンのジャズ・プレイヤーを日本に紹介し、日本のジャズ・プレイヤーをスウェーデンに、という活動をしている人。年に何度かそういう往復があるそうで、この来日もその一環として。

今回は、ラース・ヤンソン中心のライブで、演奏された曲もすべてラース・ヤンソンの作曲。スウェーデンの”IMOGENA”というレーベルのCD「LARS JANSSON TRIO A WINDOW TOWARDS BEING」が中心の構成。


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