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コンサート・レポート
「もっと知りたい〜あの楽器」宮田まゆみ -笙-
「笙」は、直径が1センチ弱の竹の管を17本、環状に並べ、夸包(ほう)と呼ばれる瓢箪で作られた受け皿に包まれた形をしている。夸包には吹口があり、そこから息を吹き込む。竹管は長いもので約40センチ、階段状に5つの段差が付けられている。(「夸包」はこの2文字を偏と旁として1文字にしたものが、本当の字です。)
会場の「府中の森芸術劇場・ウィーンホール」には、パイプオルガンがある。木をふんだんに使い、丸太をそのまま嵌めたような壁は、ギリシア風の神殿や神社の杜を感じさせる(府中市には大國魂神社というとても歴史の古い神社がある)。オルガンのパイプが並ぶ様子は、「笙」の姿とシンクロする。「笙」の音色は天上からの光を象徴するそうだ。
舞台には、大小の笙(と思われる楽器)と様々な形の笛が置かれた台。その隣には譜面台と手あぶり。何年か前の夏、演奏準備のための手あぶりで、雅楽士が一酸化炭素中毒になったというニュースがあったことを思い出した。「笙」は演奏の合間にも手あぶりで暖め、乾燥させながら吹くそうだ。
笙を手に登場した宮田まゆみさんは、アーティスティックな黒いパンツスーツでジュエリーショップの店員さんのよう。すらーっとほっそりした、とてもきれいな女性。笙が古典の中だけに存在する「過去の遺物」ではないことをその姿で語っているようだ。 プログラムを見るとジョン・ケージや一柳慧作の曲も並んでいる。
雅楽古典曲「平調調子-ひょうじょうのちょうし-」。 ちょうど顔が隠れる高さに笙を構え、出てきたのは懐かしい音。足踏みオルガンかハモニカの音色に近い。そして、それをでたらめに弾いた時のような違和感のある和音。消え入りそうで途切れることのない高音が澱みなく伸びていく。鼓膜の内側からの音と外側からの音が同時に響くようだ。体の中でハーモニーになっていくみたいだけど、音楽を聴いている感覚ではない。 平調のパラダイムのひとつ「金属」的な音。何本もの竹で作られた楽器なのに?
1曲を聴き終わると、第1部の残りの時間は「レクチャー」に充てられる。入場時に渡されたパンフレットには、とても読むことのできない(パソコンでも出せません)笙の前身を表わす甲骨文字や雅楽(越殿楽)の楽譜、「笙」を上から見た図、横から見た図、「笙」の竹の管を並べた図、などの情報が満載。
「音と一緒に呼吸した人がいたら窒息しちゃいそうですよね」というところから宮田さん自身によるレクチャーが始まった。まったく息継ぎの気配を感じさせずに演奏された曲。「笙」はハモニカのように吹く息、吸う息、両方で音が出る。ハモニカはひとつの穴に吹く、吸うで2つの音を持つが、「笙」はひとつの音。だから、途切れない音が出る。竹管の下のほうには金属製のリードが付いている(ということは金管楽器?)。1本の竹管にひとつ穿たれた指孔を解放することで音が出る。音の高低は屏上という指孔とは別の四角い穴により、竹管の長さとはまったく関係ないそうだ。17本の竹管で構成されているが、実際に音が出るのは15本。残る2本には簧も屏上もない。
「笙」の起源は、中国。殷の時代の甲骨文字に古代の小型の笙「和」を表わすものがある。殷は存在が確実な中国の最も古い王朝。細い葦(竹)を組み合わせた楽器は現在のタイやラオスにもあり、楽器だけが伝わったのか、南へ追われた人々が伝えたのではないか、など研究、論争も盛んだそう。そして南米の民俗楽器として目にする竹を横に並べたパン・フルートのような楽器(排簫)も甲骨文字に表わされている。これは、日本では正倉院御物として残っている。
中国で今も使われている「笙」は日本のものとは少し形が違う。吹口が長く伸びている。…やかんに竹を挿したように。その音は日本のものより大きくてアルトサックスみたい。奏法はロングトーンではなく、短く歯切れのいい感じなので、日本風の演奏は「お葬式みたい」とあまり評判はよくないそうだ。
『越殿楽』をCDの篳篥や龍笛、太鼓などと合わせて(カラオケ?)聴かせてくれる。よくわからない漢字のような文字(音名)の並んだ「笙」の楽譜とメロディーを鼻歌で唄うようにカタカナの並ぶ篳篥・龍笛の楽譜の読み方をざっと教えてもらい、たどる。『越殿楽』の篳篥を早回しで演奏すると、中国の民謡風になる。坂本龍一が好きそうなメロディー。
舞台に用意された楽器の音を聴かせてくれながらのレクチャー。日本での「笙」よりもその起源や歴史についてのお話が多く、「前世は古代の中国で笙を吹いていたんじゃないかなと思うことがあります」と話す表情が印象的だった。中国の神話で、国造の神様は笙を持っているそうで、その神様が宮田さんの守神だと思う。宮田さんには「笙」の神様が手招きする、大きなステージが待っているようだ。
第2部では、「笙」の演奏のみ。白いドレスに着替えた宮田さんが「笙」を手に現れる。ジョン・ケージ作曲『One9』。「笙」のための独奏曲。コンピューターの易により、和音や時間枠が定められ、その中で自由な配分で演奏される、とパンフレットにある。幻想的で宇宙的な音の連なり。 第1部で感じた違和感は薄れている。曲そのものが好みでないだけかも知れないが、何も浮かばない虚ろな印象に戸惑う。
宮田さん作曲の『滄海-うみ-』。「笙」よりひとまわり大きく1オクターブ低い「う(たけかんむりに于)」という楽器で演奏される。「滄海」とは、仙人が棲むという中国の伝説の海。やわらかく、ゆったりした音。「う」は、その音色の柔らかさゆえに合奏の中では生かされずに、平安時代で姿を消してしまう。1940年の祝賀行事の際に復元され、音色を聴くことができるようになった楽器だそうだ。独奏で充分魅力的な音だから、このまま生き続けて欲しい。古典楽器がデジタルと出会うことの幸運。
再び「笙」。一柳慧作曲『星の輪』とロバートHPプラッツ作曲『senko-hana-bi』。目を閉じて聴いてみる。と、考えるという作業ができない。だけど、気分のいい感覚。音色からシンプルな単語が生まれる。広い、温かい、遠く…。形にならない様々なものが浮かんでくる。自分の感情と五感が自由に飛ぶ感覚がおもしろい。居眠りの一歩手前のところまで、リラックスしてしまう。これを瞑想というの?「シェルビンスキーのカーペット」や「フラクタル」が広がっていく。そういえば、線香花火はとってもフラクタルな感じ。「笙」の音が血管を駆け巡って、すべての細胞が浄化されていくようだ。 不自然に切れず、長過ぎず、すっきりと終わる「笙」の潔い余韻。
最後は、雅楽古典曲「双調調子-そうじょうのちょうし」。ハ長調の「調」と同じで曲名ではなく調名。前奏曲というとらえ方のようだ。第一印象の違和感は既になく、「平調」とは対にある「双調」のパラダイム「木(竹)」、「春」が頭の中で遊んでいる。ずっと聴きたかった音色を見つけた安心感と幸福感。
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