Arts Calendar/Art's Report site/《WADA Map》Little Dancer

Vol.75
映画レポート
「リトル・ダンサー」

少年は石炭のなかのダイヤモンドの原石だった。
1984年、北東イングランドのダーハム。炭坑の町。悪い言葉を使うと「炭坑で働くしか能のない」父と兄。少し、現在・過去が怪しくなってる祖母。母は亡い。学校に行って、おばあちゃんの面倒を見て、ボクシングの練習に通う11歳の少年ビリー。町は今、大変な時なんだ。炭鉱夫の組合はストを続ける。ボクシングの練習に1回50ペンス。その金額は家族にとって、町の皆にとって軽い金額ではない。 そして、なんだかよくわからないうちに、白いチュチュの女の子たちの真ん中で、バレエのレッスンに混ざってしまったビリー。

邦題の「リトル」は、小さく弱々しすぎる。父に怒鳴られ、兄に押さえ付けられて、地団駄踏む足はT-REXのロックのリズムで強いステップになる。「足を痛くするから気をつけて」と言いたくなるほど乱暴なステップ。

「頑張れ!少年!」なんて励ましの言葉ははねつけられる。「あんたは正しい!」とビリーの後ろ姿を見送り、誰もが前に向かって晴れやかな表情を取り戻すんだ。

ビリーの前にわずかに見えてきた夢かも知れない光に、誰かしらが怒鳴っていた家族や町が一気に収束する。ダイヤモンドも石炭も元素記号が同じなわけで「あたしは、ダンサーになれたのよ」という祖母をはじめ、父も兄も皆がビリーの成功を願う。

なぜ踊るのか、踊り始めたキッカケは?ビリーは、大きな未来へのオーディションの最後の質問で、初めて問われる。「言葉になるくらいなら、踊りゃしないよ」代わりに映画館の観客が答えようとすると、ビリーは答える。

バレエのレッスンを始めても「白鳥の湖」さえ知らなかったビリーが、やがてプリンシパルとして「白鳥」を踊る。これがアダム・クーパー!彼の自伝的なお話?と騙されてみたい感じ。最後の最後の、この場面での彼の登場は、映画に携わった人々が作り上げた結晶を光に透かした輝きのようだ。

あの子もこの子もみんな可愛い。個性的でこまっしゃくれたガキが出てくるし、情けない大人は子供の応援団になって生き返る。俳優の層が厚く、レベルの高いイギリス映画は、セリフのない人まで目が離せず楽しい。

ビリーのダンスはクラシックバレエとは程遠く、ダイナミックで無骨。そして、流れる音楽がいい。歌わないミュージカル映画とでも言えばいいのか、映像と音楽の調和が新鮮でおもしろい、かっこいい!唯一ながれるクラシックをあんな風景にシンクロさせられると…。

純粋で正しいことは、美しく、力強い。ものすごく身も蓋もない言い方だけれど、おとぎ話のようなこの映画で映画館がすすり泣きの渦になってしまうのは、やはり、そういうことなんだと思う。「主役の男の子がうまいんだって」「おもしろいって」そういう評判を聞いて観に来た人たちが、ハンカチを取り出すのにゴソゴソとバッグを探る音がする。

セリフを聞く(読む)だけだったら、きっとなんとも思わないシーンで、ぐっ(ハンカチっ)。何気ない仕草や俳優の表情の力。カメラの、一歩引いた場所で冷静に家族のドキュメンタリーを撮っているような距離感が、観客を映画のなかに入り込ませる。ビリーに、父に、兄に、つい声をかけたくなってしまう。スクリーンに本当に声援を送ってしまう人が珍しくなかったという昔話が笑い話ではなく思える。


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