美術展レポート

「MOT IMAGE」

1週間に3つの美術展を観てきました。

現代美術なんて嫌いだっとキレかかりながらも、1週間後には、観に行った甲斐があったと思えました。

3つの美術展を違う順番で観ていたら、捉え方もまた違ったものになっていたかも知れません。

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JR東京駅丸の内口 赤煉瓦駅舎内 東京ステーションギャラリー
「現代日本絵画の展望」
1999年10月2日〜1999年11月14日

日本各地の美術館や美術大学の関係者がそれぞれの地域の作家を推薦するという形で選ばれた63名の新作が出品されています。

現代絵画(おもに抽象絵画)は「子供の悪戯描き」というように言われることが多々ありますよね。この美術展もまさにそんな感じの作品と技巧と素材に凝りに凝った作品に大別されるようです。

「子供の悪戯描き」派は、技量のある人が「技巧の拙なる」を装った主張ではなくて、本当に力のない、不快感さえ覚える稚拙な線や平面の処理。

一方「凝り性」派は、きれいにまとまってはいるのだけど「何を使っているのだろう?」という興味が湧くばかりでそれ以上のものは迫ってきません。

現代絵画はたいして見慣れていないうえ、展示されている作家も今まで出会ったことのない名前ばかりで、私なりの評価の基準は、パッと見て好きか嫌いか、じっくり見て「あ、何かわかる」があるかどうか。

残念ながら、嫌い、わかんないの連続で、画面の力の無さには眉間にしわ。

でも、63点すべてがそうではなく、最後の展示室で「あ、恐い」と直感的に思う作品に出会いました。「サナギ」と題されたそれは、真っ黒に塗りつぶされる寸前の暗い画面。その中央に引きずり込まれそう。夢の中で足を掬われるような、地中に落ちていくような重力を感じました。「サナギ」という未来への約束のようなタイトルに反する恐怖感。

この美術展の出品作群にテーマをつけるなら、「現代の恐怖・未来への不安」。世紀末的でありきたりですが、これは作品のタイトルと画面の色から感じるイメージで、作品から得られたメッセージではありません。恐怖や不安を表すなら暗い色と物騒なモチーフ、それだけで作品を描いているように感じました。「現代の恐怖・未来への不安」のチラシ入りティッシュを雑踏で押し付けられるような気分でした。

展示の方法にしても、大作の多い63点をさして広くないステーションギャラリーに並べるのはちょっと苦しいかも。せっかくの赤煉瓦の壁だし、もっと余裕のある展示だったら、作品への印象も違っていたような気もします。

1999年11月5日

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東京・木場 東京都現代美術館

http://www.tef.or.jp/mot/index.html

コレクションによるテーマ展示「イメージのむこうがわ」

1999年10月8日〜12月12日

1週間前の『現代日本絵画の展望』に「現代美術は苦手」な思いを引きずったまま、現代美術のかたまりのこの美術館へ。

企画展の入り口でくれるガイドブックがとても明確。漢字にフリガナが振ってある文章を読みながら、エスカレーターを下っていくと、ちょうどいいタイミングで第1の作品が現れます。じっくり見ても離れてみてもOKの許容の広い明るくて楽しい作品です。苦手意識をほぐすのに選び抜かれたといった感じ。どんな作品が展示されているのかは見てのお楽しみ。収蔵のコレクションを中心に構成された企画展なので、他の機会にも見ることができるでしょう。

この企画展は、現代美術に余り馴染みのない人たちにも、作品を感じるヒントを与えてくれるものです。行間を楽しむ読書と同じように作品の表面には見えてこない「イメージのむこうがわ」にあるものを掴めるよう助言してくれます。

見えるものと見えないもの、はっきり見えるもの、そうは見えないもの、ピンボケなもの、いくつかのカテゴリーに分かれた展示室は、はじめはヒントが満載です。段々とヒントが少なくなっていきます。というよりヒントが目に入らなくなってくるのです。助けを借りなくても作品を見る気持ちや作品が話し掛ける言葉がわかるようになってくる。

「現代」美術、なんですよね。500年前の芸術家が何を見て、何を感じたのかを想像するのは難しいけど、今、すれ違うほどそばにいるかも知れない人がイメージしたことのほうが理解しやすいはず、ですよね。言葉にならないほど一瞬に湧いたイメージやいくつかの思い出が重なって作り上げた場面。それをひとつの形に表わしたものが作品で、見る側はそのまま受けとってもいいし、自分のイメージと合成してもいい。作家と見る側のコラボレーションで作品が成長していくのですね。

そのコラボレーションのひとつが会期中にも進行しています。天利道子さんの「あなたの海の色は?」というプロジェクトに美術館を訪れ、アンケートに記入するという方法で参加できます。いろんな人が選んだそれぞれの海の色。小さなカラーチャートが並んだその作品は、波の音を聞きながら、ひとつひとつ丹念に見ても、ざぁーっと全体を見ても、様々な海の色とその思い出が美しく、本物の海を見たように心が落ち着いていきます。自分の持っている海が甦り、まだ見たことのない海への憧憬が湧きおこります。美術館のホームページ上でもその様子は更新されています。
URLは、http://www.tef.or.jp/mot/special/umi.html

ところで『イメージのむこうがわ』と『現代日本絵画の展望』を見て。デイヴィッド・ホックニーと比べちゃ悪いけど、作品の発する「力」の差は素人目にも明らかでした。おそらく、現代美術はエキセントリックでなければならない、そんな思い込みが『現代日本絵画の展望』の作家側にあったのではないでしょうか。そのことに終始するあまり、作品の発展が思わぬ方向に行ってしまったような気がします。袋小路に足をとられた作家の姿というのが、あの美術展だったのかも知れません。

具象だけでなく、抽象を手に入れたことは現代絵画の宝物。せっかくの宝物がパンドラの箱になってしまっては勿体ないですものね。

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東京・木場 東京都現代美術館

http://www.tef.or.jp/mot/index.html

「身体の夢 ファッション OR 見えないコルセット」

1999年8月7日〜11月23日

「イメージのむこうがわ」展の企画室をめぐりながらもその向こう側にちらちらに見える不思議な服たちが気になって、この展示も見てきました。

「プロローグ:成形された身体(20世紀以前)」「第1章:自然な身体と20世紀のファッション」「第2章:揺らぐ身体とファッション」という構成で展開される企画展です。どこかのファッション系専門学校の団体さんとぶつかってしまい、賑やかな「鑑賞」となりました。

プロローグは、コルセット、コルセット、コルセット!「風と共に去りぬ」の一場面が思い出されます。ウエストを細く細く締め上げて着るドレスは可愛いのだけれど、コルセットだけを取り上げて羅列されると、それは「異形」でしかないと暗示にかかっていくようです。体の自由を奪われるというよりも気持ちを内面に押し込めるのは、さぞ息苦しかったことでしょう。健全な精神は健全な肉体に、ってこういうことかと感じます。抑圧する力が強ければ強いほど、内側には貯まっていくエネルギーのマイナスの力は強くなっていく。型にはめるってとても恐いことです。

第1章は、コルセットから解放され、体の自由とデザイン(表現)の自由、両方を手に入れる20世紀のファッションです。スキャッパレリから川久保玲、山本耀司とバラエティに富んだ100年間の服がとりどりに並べられています。時代ごとではなく、デザインや用途ごとにステージにまとめられています。

だから、50年前のデザインとコム・デ・ギャルソンが隣り合っていたりするのです。キャプションに値段がついているんじゃないか、なんて思ってしまうショップ風のディスプレイ。ぶつかってしまった学生さんたちの「かわいー!」に同調して、こちらも「かわいー、ほしー」の連発。そして彼女たちの「めっちゃかわいくなーい?」の声のあとの絶句。「うっそ、これ、30年前のだって!」ちょっとびっくりなことに、トルソーが今風のせいか、30年、50年前のドレスか、つい数シーズン前のドレスか区別がつかないのです。かなりアヴァンギャルドなデザインもそれに含まれているのが不思議。時代やデザイナーのオリジナリティはもう素材と技法しかなくなっているのかしら。

第2章は、なかなかショッキングです。この章を生かすためにプロローグと第2章が必要だったような気がします。もうファッションは、意識を型にはめるためのものでも、身を飾る楽しみでもなくなっています。意識と体を結合して表現する独立した存在となっているのです。外気に汚染されたり、他者から傷つけられたり、または自ら傷つけたり。そういう凶器を表現するのに一見平和で安穏としたファッションが使われています。

アントネッラ・ピエモンテーゼの作った「防護具」の数々。満員電車や雑踏のストレスを受けながら日々過ごしている身としては、マンガのような可笑しさを感じる一方で、これらが「アート」として存在する現実に哀しさも感じます。

暗いイメージの作品ばかりではありません。意味なく「かわいー!」のも。そのなかで笠原恵実子さんの 「MANUS・CURE」が素敵!可愛い!『イメージのむこうがわ』の「あなたの海の色は?」に共通する作品にも見えます。もし自分が持っていたら、毎晩取り出してはニヤニヤしてしまうようなしあわせな気持ちにしてくれる作品でした。

この企画展と10月にレポートした『パリ・モード1870-1960 華麗なる夜会の時代』とは、一部がダブった展示になっていますが、企画や演出の違いでまったく印象の違うものになっています。両方を見ることで、イメージが行ったり来たりして面白かったです。

1999年11月13日


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