コンサート・レポート
アサヒビール音楽講座 レクチャーコンサートシリーズ 旬を聴く-注文の多い音楽会-
第1回 素材あれこれ
1999年9月28日 Asahi スクエアA
2週間ほどの時間が過ぎてしまったのだけど、9月の終わりにとても印象的なコンサートに行ってきました。
今年で第4回目となるアサヒビール音楽講座の今年のテーマが「旬を聴く」。音楽の創造的一回性とその一回性を生きる作品(作曲)、演奏、聴衆の相関関係に光を当てる、とのこと。
3回シリーズの第1回「素材あれこれ」のレポートです。
浅草のあのビルの、夕闇に浮かぶ金色のトーチが暗くなるのが早くなったと実感させるころ。
この日のコンサートに出演する楽器はクラシカル・ギター、クラシカル・アコーディオン、チェンバロ。
吹き抜けの天井の黒い壁の現代的なホールに置かれた「きゃー!可愛い!!」チェンバロ!金色の脚、黒いボディ、蓋の内側は真っ赤、弦の下は水色、ボディや蓋の裏、弦の下にまで、トールペインティングで花の絵が描かれています。客席可動式のホールに並べられた椅子はとても楽器に近い。
「素材あれこれ」-素材は、楽器か音か曲か演奏者か…。
第1部はある楽器のための曲をほかの楽器と競演するというスタイルで進みます。つまり同じ曲を3回か2回、聴けるわけです。
まず、バッハの「ロンド風ガヴォット」。本来はリュート組曲で、作曲者のバッハ自身はチェンバロで演奏していたという曲です。いかにもバロックというこの曲は、よく耳にするメロディーで、3つの楽器に無理なく収まりながらも、それぞれの演奏者が楽器ごとに少し違った部分も聴かせてくれるプロローグ。
ギター(福田進一さん)のガヴォットは、優しくまろやかな曲。シンプルに音が出るギターという楽器も、1本で、ひとりでも同時に様々な音が溢れ出てきます。貴婦人のひらひらとしたステップを支えるように優しさと力強さを合わせ持っていて、舞踏曲をギター1本で聴いても充分な華やかさがあります。
一番びっくりしたのが、クラシカル・アコーディオン(御喜美江さん)。アコーディオンというとラテン音楽や小学校で弾いたノスタルジックなイメージが湧いてきます。でも、この右に鍵盤、左にたくさんのボタンがついたアコーディオンは、無限の音が出せるかのように多彩な楽器。
バロック音楽の代表的な楽器、チェンバロ(桑形亜樹子さん)で聴くと、やはり一番バッハがはまるような気がするけど、なんだかとても元気がよくてポップスのようにも聴こえます。金属弦をツメで弾いて音の出るチェンバロは、あらためて聴くと見かけによらずとても金属的な音。
シェフの職人技になぞらえた、このコンサートの案内を思い出しました。同じ素材でも味付けを変えるとまったく違う料理になるということでしょうか。「ロンド風ガヴォット」は、それぞれのシェフに無理のない素材で、まずは肩ならしの前菜といった感じ。
次の素材は、チェンバロのための練習曲 スカルラッティ作曲の「ソナタ」をチェンバロとギターで。音域の違う楽器での競演なので、もちろんまったく同じには演奏できないし、音の出る仕組みは似ていても、チェンバロのための曲だからギターは不利。チェンバロの桑形さんの得意げな余裕の演奏に対して、エールを送りながらも悔しがる福田さん。なんだかおもしろくなってきましたねぇ。
そして、またチェンバロのための曲 ラモー作曲の「めんどり」をチェンバロとアコーディオンで。これはもう、「バトル」でした。桑形さんが「お皿に乗っためんどりしか見たことがないようなお姫様が弾いてるイメージで」の演奏に対して、御喜さんは、「農家を走り回るめんどりをイメージして」という演奏。でも、どちらもバロックというよりプログレ。楽器としての柔軟性は、アコーディオンが有利。福田さんいわく「闘鶏でしたね」。
ナビゲーターの池田逸子さんの解説とそれぞれの演奏者のお話を交えて、プログラムは進んでいきます。落ち着いたサロンコンサート風かと思っていたところがびっくりすること、わくわくすることの連続。楽器の音の出る仕組みや仕掛けのお話もいろいろ飛び出して勉強にもなるし、楽しい。
会場からの質問や感想も受けてくれます。
第1部が終わっての休憩時間、チェンバロの調律中、楽器に近付くことができました。18世紀末に作られたこのチェンバロは今でいうバブル崩壊直前のものだそうです。確かに装飾的で華やかだけれど、なんだか哀しい楽器でもあります。
ピアノに駆逐されてしまったと言われたチェンバロ。目の前で生き生きと歌っているのを聴くと、古楽と言われる遺物などではないのだなぁと強く思います。いろいろな経緯があったとしても、やはりなくてはならない個性を持った楽器だから今もここにあるのです。
ギターの福田さんのお話の中で、限られた音域を無限にしようという意図か13本のネックを持ったり、身長よりも長いギターが作られたこともあったそうです。巨大なギターのお話は、恐竜を思い浮かべてしまいました。
第2部はそれぞれの楽器ならでは、の曲を現代音楽を中心に聴かせてくれます。
ヴィラ=ロボス作曲「ギターのための12の練習曲」とブローウェル作曲「舞踏礼讃」。第1部では、一番やさしげな雰囲気を持っていたギターが、そのイメージを壊してくれました。「禁じられた遊び」がやっとだった私には、楽譜さえ想像できないほどのアルペジオ!メロディーというには余りにも複雑なのですが、演奏者の個性なのでしょうか、聴いているほうには安心感を与えてくれる曲です。急流ではなく大河といった雰囲気。第1部の「ソナタ」で、楽器の表現としてはチェンバロに水をあけられてしまったギターですが、ここでは面目躍如。複雑なステップを表現するように、ギターの胴体を叩いて音を出したりする「舞踏礼讃」。ギターにしかできない曲、出せない音、ギターならではの演奏法で楽しませてくれました。
チェンバロは現代音楽のべリオ作曲「ラウンズ」。チェンバロで現代音楽、あるんですね。しかもバッハよりチェンバロの音が生かされているような気がします。この曲は途中で譜面がひっくり返ります。頭から弾いて、終止線にぶつかったら譜面をひっくり返してそこから逆に弾いて、また譜面をひっくり返して頭から弾いて、1曲。そんな曲をなんということなく、楽し気に弾いてしまう桑形さん。
そして、2曲目はデュフリ作曲「ラ・フォルクレ」。こちらはこの日演奏されたチェンバロと同じ時代に作られた曲。この大型チェンバロの特性を聴かせてくれるための選曲だそうです。現代音楽を耳にしたあとでは何となくデカダンスに満ちた曲。
クラシカル・アコーディオンはグバイドゥーリナ作曲「深き淵より」。旧ソ連の作曲家がロシア式アコーディオン「バヤン」のために作った曲。闇に落ち込んだ人間が神を求めて叫ぶ旧約聖書詩編による曲だそうです。ロダンの「地獄の門」のブロンズの色が心に広がります。無限の可能性を感じるアコーディオンの表現を存分に聴かせてくれる、とても深い曲でした。
演奏中の表情や曲の合間のお話で強く感じるのは、3人の演奏者がそれぞれ自分の楽器に持っている、とても大きくて深い愛情。同じ曲を演奏しても楽器の違いで表現できない部分がどうしてもあるのですが、それを3人ともとても悔しがるんですね。そして、それを克服しようとコンサート中にも試行錯誤をくり返す。私達を楽しませようという気持ちと自分達もまた楽しくて仕方がない、そんな気持ちが伝わってきます。歴史のある楽器達ですが、その中で満足せずにまだまだ進化しようとしているようです。
取っつきにくい現代音楽もアコーディオンやギターのように馴染みのある楽器で聴くと、意外なおもしろさや深さを感じます。
古楽の代表のようなチェンバロも現代音楽を表現すると新しい楽器のように聴こえます。
ああ、そうだ。コンサートのタイトルが「旬を聴く」でした。食べず嫌いや好き嫌いしないで、まず聴いてみることなんだ。
最後は、一番初めの「ロンド風ガヴォット」を3つの楽器で合奏です。先ほどの演奏とは違いコラボレーションといった感じ。長所と短所が顕われてしまう第1部、それぞれの特性を存分に発揮できた第2部の演奏を経て、握手しているような、火花の散るジャズセッションのようなガヴォットでした。
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