東京国立博物館-法隆寺宝物館
『開館記念特別展 法隆寺・宮内庁の宝物「生まれかわった法隆寺宝物館」』
7月20日〜8月29日まで
4月から9月の毎週金曜日、東京国立博物館は夜8時間まで開館している(入場は7時30分まで)。その金曜の夜を利用して、建て替えられた「法隆寺宝物館」へ行ってきた。
これまで長い間、そこは週に1日だけ(しかも晴れの日のみ)の開館であった。正倉院にも匹敵する宝物が東京にあるのに、保存第一の収蔵で観に行きにくい条件。それが今回の全面的な建て替えにより、通常の博物館と同じように見学できるようになった。
収蔵されているのは、法隆寺献納宝物。これは、明治11年、経済的困窮と排仏毀釈の風の中にあった奈良・法隆寺から、宝物の散逸を防ぐ意味もあり、皇室に献納された300を超す作品。当時は正倉院に保管され、明治15年には、現在の東京国立博物館に移された。第二次大戦後、皇室の財産を整理する際に、作品の大部分は国有となる。一部の作品は、明治天皇ゆかりの御物として皇室保有で京都御所に保管されたり、法隆寺の希望により返還されたものもある。
ということで、収蔵品は歴史の教科書に載っていたあれやこれやの国宝、重要文化財がたくさん。8月29日までは、京都御所収蔵の作品や、法隆寺の国宝・夢違観音なども出品され、通常なら夏は展示されない伎楽面も出ているので、この機会に観ておくのをお勧めする。
正倉院御物と同じく、多くの作品が製作されたのは7、8世紀。シルクロードを通って伝えられたものやデザイン。当時のアジアの技術の高さやデザイン感覚を知ってもらいたいが、今回はソフトでなくハードについて。
まず、ファサードに驚かされる。ジョサイア・コンドル作の国立博物館本館を正面に見て門をくぐる。たまねぎ屋根の表慶館の横を通ると大きな鬼瓦に武家屋敷の門。それらを横目に通り過ぎると目に入ったのは、まさか!という建物の宝物館。法隆寺から連想させるものは何もない、コンクリートとガラスの直線的な箱。この時点では、「やっちゃったよ…」と思った。悪評高い「箱もの」行政の典型的な例に見えたのだ。
私が出掛けたのは雨上がりの夕方。建物の向こうには虹、前にはタイルと一体化した浅いプールのエントランス。2枚の自動ドアを抜けて中に入ると装飾のほとんどない広いガラス張りのエントランス・ホール。すぐ目につく「順路」や洗面所、カフェの案内プレート。シンプルだが分かりやすく表示されている。順路に従って第一室に入る。展示品が入っているガラスケースがとても見やすい。収蔵品保護のため、照明は抑えてあるが、ガラスに見ている人間が映り込むことなく、反射することなく。ガラスがあるのが見えないほどの透明感。復元された作品が当時の姿を一目で理解するのに効果的に展示されている。そして第二室。一歩入った瞬間に、息を飲んだ。ここに展示される金銅仏は、高さ20B〜30Bほどの小さな仏像。それが一体づつ同じガラスケースに入り、7×4の仏教のリズムで並んでいる。これが、見事なバランス。どの角度から見ても絵になる。現代の素材と照明で、SF映画の1場面を思わせながらも、法隆寺の伽藍のリズム感。部屋全体を見渡すと、それぞれのガラスケースに他のケースが重なり、遊園地にある鏡の部屋のようだが、ひとつのケースに近付くと、周りのものが映り込まずに見やすい。仏像の足元には小さなライトが埋め込まれ、それが仏像を浮き上がらせるように際立たせている。ケースは充分な間隔をとって並んでいるので混雑した時でも見やすいだろう。小さなことだが、展示品の名前や製造年を書いたプレートが正面をはずして貼ってあること、これはすごいアイデアだと思う。プレートを読むことばかりに終始して、展示品の正面で他の人の邪魔をする人がよくいるが、こうしてあるとそんなこともない。
第三室には伎楽面、第四室には木工・漆工と、第六室まである。それぞれが展示してあるものをよりよく見せるために工夫されている。展示室に入るとどの方向から進んでもいいようにゆったりと展示品が置かれている。足音も響きにくい床材が使われている。エレベーターが設置され、床に段差が全くないので車椅子の人も動きやすいと思う。そして、展示品が他の博物館に比べ低い位置にあるのも、いろいろな人に配慮した結果なのだろう。中2階を持つ2階建でそれほど面積は広くないようだが、無駄なくゆったりとしている。展示品のために抑えた照明は、(メモをとるには少々暗いけど、)人間の目にもやさしく、居心地のよい明るさだ。
展示を見終えると、中2階に資料室がある。関連図書の閲覧はもちろん、法隆寺献納宝物の全部を網羅したデータベースが20台近くあり、簡単に自由に使うことができる。今見て、気になった作品の詳細な解説、拡大画像を確認できる。
中2階から1階への階段は、ガラスの外壁を通して外が見える。鏡のようなプールと表慶館と深い緑。館内の照明がガラスに映って月のようだ。時間によってはここから本物の月が見えることもあるだろう。
館内をゆっくりと見ていたら、日が落ちて薄暮という頃。1階には、ホテルオークラのカフェがある。大きなガラス窓の外にもテーブルがあり、プールとその向こうは緑の濃い上野公園。すべての席からその風景が見える。借景になっているのだ。京都・北山あたりのお寺の方丈から見ているような額縁の風景。時折降る雨が外のタイルを黒く染める。席数は多くはないが、のんびりとお茶を飲んで、軽い食事もできる。すぐそばに車道があるけれど、聞こえるのは蝉の声だけ。夏はよる。…雨など降るもおかし。
国立博物館がここまでやるかと、正直、驚いた。人工的であることは間違いないが、この宝物館を設計した谷口吉生氏は、収蔵されている宝物と守ってきた時間と人間とに対して大きな畏敬の気持ちを持っているのだろうと思う。それが、観に来る人に快適さとして伝わるのだ。いろいろな博物館や美術館で感じる工夫や配慮のなさ、些細なことで展示品の魅力を失わせることにも繋がるストレスをこの博物館は感じさせない。
博物館や美術館は時間と共存する場である。2000年にもなる、収蔵品の生命が時間に抵抗して、この先もコンディションを保つには人工的な措置しかないのだ。この博物館に対してマイナスの先入観と嫌悪感を持って中に入ったのに、一歩進むごとに、それは建築家に対する尊敬とシンパシーに変わる。
9月いっぱいの金曜日ごと、夏から秋に変わる夜を楽しみに行くだけでも価値があると思う。
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