Arts Calendar/Art's Report site/《WADA Map》Yokohama1859-1899
展覧会レポート
横浜美術館「幕末・明治の横浜」展-新しい視覚と表現-
会 期:2000年1月15日〜3月26日
開館時間:10:00〜18:00/金曜日は20:00まで。(入場は30分前)
休 館 日:毎週木曜日と2/14、3/21
料 金:企画展のみ=1000円(大人)、企画展・コレクション展共通=1200円
開港140年にちなみ、タイトル通り、「幕末・明治の横浜」の姿を見せるとともに、「新しい視覚と表現」を手に入れた画家、写真家たちの奮闘振りを伝える興味深い展覧会。
1859年(安政6年)、ペリー来航から6年後、横浜は5カ国条約の締結により開港。イギリスをはじめとして欧米の各国から横浜に次々にやってくる異文化。来日した欧米人にとって鎖国していた日本の風俗は物珍しいものであったのと同時に、欧米人そのものが日本の庶民にとっても驚きであり、好奇心であったことだろう。その街中を題材とした「横浜浮世絵」は1860年から10年あまりに渡って描かた。日本史の教科書「文明開化」の項、赤がやたらに鮮やかで目につく奇妙な和洋折衷の挿し絵。それらが『横浜浮世絵』。描いたのは歌川派の浮世絵師たち。今の私達の目には「美しくない」「奇妙な」絵。開かれつつある世界を舞台セットのように「遠見」を用いた遠近法で現す。浮世絵のお約束的手法が通用しない題材。その不自然さを、絵師はどう考え、見るものはどう感じていたのだろうか。
絵師の前に現れたのは、西洋の写実的な絵画。五姓田芳柳は「油絵を見てその妙味に感じ」たものの、既に日本画を生業としていたため、独学で西洋画の陰影法を取り入れる。絹地に描いた洋風の肖像画や風俗画。それが『横浜絵』。五姓田芳柳の横浜絵は人物は写実的で西洋画ふうであるものの、バックの処理や表装は純和風で、居留地の外国人や旅行者の土産物として好評を博し、量産された。それは画家にとって納得のいく絵だったのだろうか。大政奉還から明治維新に向かう時代、目の前にぶら下がっている新しい表現に手を伸ばしつつ、古来の日本画も捨てきれない。ジタバタともがく様子が画面に現れている。自らは西洋画を学ぼうとしなかった五姓田芳柳だが、その意志は息子である五姓田義松に託される。
「新しい視覚と表現」と出会い、それを手に入れようとするもどかしいアプローチを見せた後、この展覧会は転調する。高橋由一(1828-1894)と五姓田義松(1855-1915)である。おそらくは、日本で最初の西洋画におけるエリートであろう。年齢は違うが、ともに横浜の居留地に滞在するワーグマンと工部美術学校のアントニーオ・フォンタネージにほぼ同時期に入門する。北画などを学んだ経験を持つ高橋は「真に迫りたるがうえにも一つの趣味あることを発見し」、「洋書調所画学局(前身は幕府の洋学研究機関)」で西洋画の技法研究に取り組んだ川上上崖の師事を仰ぐ。その後は英国人画家チャールズ・ワーグマンに師事(1866)。明治5年(1877)に描かれた高橋由一の油彩画は、初めて油彩を手にした者が必ず通過する「ぺたぺた」とした質感のない絵である。しかしその翌年の高橋由一の油彩は目を見張るばかりの上達を見せる。更に年を追うごとに構図、技法あらゆる点で頂点に迫る。写真のクローズアップのような遠近感を持つ桜の枝、ふわふわの羽毛と艶のある羽根の鴨。
そして、五姓田義松13歳の自画像。画家の家に生まれ、10歳にして英国人画家チャールズ・ワーグマンに入門。幼少のころから西洋絵画を学んだとしても13歳の少年がこれだけの絵を描くものだろうか?しっかりと油彩の自画像のスタイルが出来上がっていて、深みのある画面とは天才としか言い様がない。
しかし。
五姓田義松13歳の自画像には、疑惑を持つ意見がある。描かれた少年は義松ではない、義松の筆ではない、というかなり信憑性のある検証。 これらの経緯、図録を見なければわからないのだが。
高橋由一の油彩にしても、年代順に並んでいるが、明治5年は、50歳を過ぎて、退官した年である。もっと以前から油彩を描いていたはずで、「描きかけ」のような絵からだんだんと個性を発揮する絵を並べるのはどうか。キャプションに注意を払えば気付くことかも知れないが、それでは展覧会のライブ感覚を楽しめなくなる。
そういった展示を「あざとい」と感じる部分もあるが、いずれにせよ、西洋絵画が日本にもたらされてからの浅い年月のなかで、ここまで自分のものにした画家に拍手を送りたい。高橋由一と五姓田義松だけではない。明治の洋画家たちが、手に入れた新しい道具に夢中になった軌跡。「描きたくて、表現したくて」、描かれた強さと誇らしさが溢れている。
「幕末・明治の横浜」展であるが、日本人画家が描いた横浜の絵は少ない。「横浜浮世絵」くらいだ。横浜を見たのは居留地の外国人画家やカメラマン。そして、日本人カメラマン。
彼等が横浜を、時代をどう捉え、記録していたかにも興味は尽きない。ジャーナリストとして来日した写真家フェリックス・ベアト、画家チャールズ・ワーグマン、ジョルジュ・ビゴー、などなど。彼等の残した写真やイラストは、今でも私達が当時の風俗を知る資料として目にするものである。
外国人カメラマンの撮った写真の多くは「報道写真」「観光写真」といった趣きである。外国人の興味というのは時代も土地もかわらないようで、社会の底辺を撮る。撮られる土地が変わっても、現在と過去と、同じ視点の写真を外国に出掛けた者が発表していることに、価値観は波のように伝わっていくのだなぁと感じる。被写体が撮る側に回る空しさ。
「おもしろい」写真を残しているのは、日本人のほう。様々な職業のコレクション。その選択も妙であるが、ポーズがいい。お堅い場での一枚の画面の端にいるのは何?併設コレクション展の現代の写真が紛れ込んでいるようなコラージュ。明治26年にこんなコラージュ作る人がいたなんて!
チャールズ・ワーグマン、ジョルジュ・ビゴーの絵はどこかで見たことがあるはず。モノクロのひとこまマンガのような、ちょっとシニカルな絵。それらの絵に目新しさは感じられないが、チャールズ・ワーグマンの水彩、油彩には時間をかけて眺めていたくなるところがある。物騒な絵もあるものの穏やかな春の海や豊かな秋の風景に日本への暖かな視線を感じる。 日本人が西洋画を習得しようとする一方で、彼の描いた絵のいくつかは水墨画のような濃淡のスケッチ。
あんなに力強い明治の日本人画家たちは、日本の洋画は、その後どうなるのだろう。西洋画と浮世絵のフュージョンを創造した井上安治らの魅力的な画家の登場、だが…展覧会はフェードアウトで終わる。
列強に連なろうと流れていく時代の水流に押し戻されるかのようだ。流れに負けない強い画家も、うまく時流に乗った画家もいただろう。大作ばかりが並ぶ最後の展示室には、本当に描きたい題材だったのだろうかという後味の悪さと虚ろさを感じずにはいられない。
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