展覧会寸評
夏の終わりに…2つのガラスの展覧会
「栄光のヴェネチアン・グラス展」と「日本のガラス2000年-弥生から現代まで」という2つのガラスにまつわる展覧会を観てきた。
暑い夏だから、との意図でほぼ同時期に展覧会が行われたのではないと思うが、先入観が覆る対照的な展覧会だった。
「栄光のヴェネチアン・グラス展」
東京ステーションギャラリー(JR東京駅赤煉瓦駅舎内)
1999年7月31日-9月19日
「日本のガラス2000年-弥生から現代まで」
サントリー美術館(地下鉄赤坂見附駅:サントリービル11階)
ガラスの歴史は4000年以上。イスラム世界で誕生し、イスラム教とともに東西へ広がる。その水晶に似た輝きや透明感が珍重され、宗教美術としてその文化は花開いていく。
「栄光のヴェネチアン・グラス展」
西へ進んだガラスは、15〜16世紀にヨーロッパの大商業都市国家ヴェネチアで栄華を極め、やがてベルギー、オランダなどで、デザイン、技法が洗練されていく。ヴェネチアン・グラスというと、深い赤か青の透明感のある繊細な工芸品。いかにもヨーロッパという印象のお酒の似合うグラス。
展示されているのは、ベルギー・リエージュ市立クルティウス美術館所蔵の品々。意外なことに並んでいるガラス製品は、どれも無骨で大胆なタッチの絵付けがされている。足の長いゴブレットや背の高い花器もあるのだが、アンバランスなものが多い。デザイン過多で…うーん。カントリースタイルの陶器をガラスに置き換えたような感じがする。
意図したものではない歪んだ線が居心地悪いなか、ベルギーやオランダで、作られたガラスが美しい。このところのファッション界がベルギーのデザイナー達により新風を吹き込まれたように、ヨーロッパのデザインにはベルギーのアイデアは昔から新鮮なものだったのだろうか。それとも、この展覧会がベルギーの美術館からの出品だから、ヴェネチアのものよりベルギーのガラスに完成度の高いものが多いのだろうか。ならば、「栄光のヴェネチアン…」というより、ヴェネチアン・グラスにおけるベルギーの役割というスタンスで開催したほうが納得がいくのだが。
デザイン大国イタリアの、そのデザインの黎明期、繊細で、しかも洗練されていて…、というものを期待して、この展覧会に来たのだが、それとはまったく違うものを見た気がする。少なくともここにあるのは「ヨーロッパ的」な美ではない。フランスの“バカラ”の繊細さは、どういう流れで誕生するのだろうか?先に開催された“バカラ”展も観ておくのだった…。
異文化で誕生したガラスは、ヨーロッパにとってはあくまでも異文化のものであり、そのデザインや技法の発展には異文化への憧れが大きな力となっているのだろうか。中国の陶器をまねた乳白色のガラス「ラッティモ」などが最たるもの。そう思ってみると、中国の宮廷にある水指しのようなデザインや東洋の樹木のような花器や酒器。多様な色とデザインをまとめて見られるのはいいのだけど、食文化や生活の背景が見えてこない素っ気無い展示が残念だ。
イタリアのお土産として目にするヴェネチアン・グラスは、ヨーロッパの人にとっては、私達が的外れな「土産物」を外国の人が買って行くのを苦笑しながら見るのと、同じような感覚のものかも知れないと思った。
「日本のガラス2000年-弥生から現代まで」
東へ向かったガラスはどうなったのか。古墳時代や弥生時代の古墳、墳墓から発掘されたビーズから日本のガラス文化は始まる。このあたりのものは、ペルシアからの舶来品。正倉院御物にもある「白瑠璃碗」によく似たものの「かけら」もある。国内で制作されるようになった日本のガラスはまず、アクセサリーとして発達していく。ネックレスやブレスレッドの配色は、流行のビーズのアクセサリーとしても洗練されている。というより、今ではなかなか思い付かない色使いかも知れない。鮮やかで、果物を写したようなその色使いはまぎれもない「日本の色」。風景や人の肌に馴染む色だ。
仏具などに使われた中世を経て、江戸時代に入ると食器として台頭を顕す。再び輸入品と出会うことにより進化したのだ。「ぎやまん」「びいどろ」と呼ばれたオランダからの舶来品。そう、ちょうどベネチアン・グラスがオランダのデザインと出会った頃の製品が、日本にも新しいガラスの文化をもたらしたのだ。
作品に名を残すような作家としてのガラス職人や工房も現れる。思ったデザインを形にできる確かな技術がやはり日本の持ち味のようだ。液体のような曲線と深い色が美しい吹きガラスとカットグラスとも呼ばれる切り子細工に大別され、吹きガラスの酒器など、現在の新しい製品とまったく変わらない完成度がみられる。
一方の切り子細工は、今では思い付かないようなおもしろいデザインがたくさん展示されている。まだ熱く柔らかいガラスにカットをしていくのだけど、木や石に彫刻したとしてもここまで正確に、斬新に細工できるものだろうか。切り子細工はカットだけでなく無色透明のガラスと色付きのガラスを重ね合わせることで、その切り口を生かすのだけど、色付きガラスをねじったりマーブル調の模様にしたり、板染めのようなグラデーションを付けたりと、江戸の職人のデザイン感覚にはいつもながら脱帽してしまう。江戸時代のガラスはやはり高級品、裕福な商家が所有していた特別な食器であった。
大正時代に入り、ガラス製品も大量生産ができるようになる。そのコーナーに展示されている「昔懐かし」といった感じのかき氷用の器たち。乳白色に苺のような赤いラインの、ペパーミントグリーンの、おもちゃのように厚く、太くて短いステムのデザートグラス。みつまめ、あんみつ、白玉あずき…。そういえば美術館のすぐそばに“とらや”があったけ。食器や生活の中でのガラスのその後は、身の回りにある通りである。
一番奥のコーナーには、現代美術のオブジェが展示されている。ガラスを素材として何を表現するか、単純に思い付くのは、視覚的には光、水、氷、透明。感覚としては冷たさ、危うさ、繊細、鋭さといったところだろうか。並べられたオブジェには不思議と冷たさなどマイナスのイメージがない。温かさや、緩やかな風の流れを感じさせる平穏なものが多い。
古墳から発掘されたあの小さな歪なガラス玉が2000年経ってこんなに綺麗なオブジェになるんだなあ。プリズムやレンズもガラスだし、そういえば、ガラスは天然の素材だ。土から掘り出し、金属で着色して、火と水を駆使して、ガラスができる。なんかすごいぞと思う。
4000年前、おそらく偶然に発見されたガラスは、当時宝石であっただろう。日本では瑠璃と呼ばれ、七宝のひとつ。技法を伝えられた国々で宗教美術、アクセサリー、インテリア、食器と、使われる場面は同じでも、それぞれの国でまったく異なる個性を発揮する。どのようにも姿を変える柔軟性。
この夏、東京では、もうひとつガラスの展覧会がある。
三鷹市にある「中近東文化センター」で“エジプトのガラス”展が9月26日まで。
西にも東にも行かず、発祥の地に留まったガラスはどのような姿になったのか。時間があれば行ってみたいと思っている。
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