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展覧会レポート
「日本国宝展」-文化財保護法50年記念-
東京・上野 東京国立博物館平成館
2000年3月25日〜5月7日
一般1300円(下記のHPに割引クーポンがあります)
展示替え情報など、詳しくはこちらを
http://www.yomiuri.co.jp/kokuhou/index.htm
日本の国のたからものが200以上、東京・上野国立博物館平成館に集まっています。
「今世紀最後の国宝展」というコピーをポスターで見て、何にも情報収集をしないまま、初日に出掛けました。「きっと、混む」そう思い込んで、上野駅で当日券を買い、手前の法隆寺館のロッカーに寄り道。平成館は暖房が強めに効いているから、コートも預けてしまおう。チケットの半券を切ってもらいエスカレーターに乗ると、頭の中には期待で「展覧会の絵」が流れ始めます。
と、一人で盛り上がっていたのですが、一歩、展示室に入って「私は何を見たかったんだろう」と、もやもやとしたもので胸がいっぱいに。壁面にぐるっとガラスが張り巡らされた展示室。どれもこれも同じガラスケースに入れただけ。スーパーマーケットの鮮魚コーナーじゃないんだから。
「私は『たからもの』が見たかったんだけどな」
ガラスケースの中に並べてある、経典、書蹟、絵巻…。それらは、国宝です、間違いなく。国宝に指定された年、制作年、所蔵されている美術館や寺院の名前がキャプションに書かれています。でも、それだけ。ホントにトレイに乗ってラップに包まれた鮭の切り身と同じ。お決まりの品質表示シールが貼ってあるところなんかそっくり。
初日の、まだ早い時間だというのに大勢の人がガラスケースに貼り付くようにして、「国宝」を見ています。平安時代の経典、古文書、絵画的とも言える草書で物語が書かれた絵巻。それらの文字が読める人がどれほどいるでしょうか?すべてに振り仮名や現代語訳をつけることは無理でも、どんな物語が書かれているのか、どのような教えの経典なのか、そのくらいのガイドがあってもいいのではないでしょうか。
「みんなのたからもの、なんだからさぁ」
すっかり、熱が冷めてしまい、少し離れた位置で「キャプション」だけを拾い読み。そのうちに見たかった絵巻の名前を見つけました。『寝覚物語絵巻』のはんなりとした色あい、細やかな筆遣いが可愛らしい。そのまま列に入り込んで書蹟も見ておこうと思い直します。『土佐日記-藤原定家筆』意外と読みにくい定家の字。『古今和歌集-高野切本』はようやく読みとることのできる文字。だけど、流れて行くような草書の、かたちの美しさ、墨色の褪せない新鮮さは、文字や詩という表面的なものではない、ただただ美しい迫力があります。たとえ読むことができなくて、日本人の持ってきた美意識のスタンダードを感じることができます。「きれいだねぇ、やっぱり」
『古今和歌集-高野切本』に続く『大手鏡』『手鑑』。周りの人の会話が聞こえてきます。
「手鑑って何?」「この本のタイトルじゃない?」「物語が書いてあるわけ?」「知らない、読めるわけないじゃん」
大学生くらい?国文科とか美術専攻でなければ、知らない「単語」かもね。でも、そのままじゃ見に来た甲斐がないじゃない。何だか分からない時は英語のキャプションも手掛かりになりますが、ここの英文のキャプションにも「Te-Kagami」などとあるだけ。 What is this? (手鑑=鑑定のための見本、観賞用、書のお手本として古今の能筆家の書を貼った「スクラップ・ブック」です。)
キャプションをはじめ、全般にこの展覧会は素っ気ない。うつくしいもの、を見せてくれるのなら、もう少し奥に踏み込むきっかけも教えてくれればいいのに。より、うつくしく見えるように工夫してくれればいいのに。何故、これが国宝に指定されたのか、それを教えてくれることも、展覧会の役目ではないかと思うのです。-文化財保護法50年記念-の展覧会なんだから。
『志野茶碗-銘卯花墻』の前で両手を丸く合わせる白髪の人がいました。お茶をいただく時の、お茶碗を両手に包み込むようにして、うっとりと微笑むように穏やかな表情で。この展覧会で何よりも印象に残っているのは、この人の姿でした。この人が『志野茶碗-銘卯花墻』でお茶を点てる茶室に座ってみたい。そう思いました。お茶碗って、持ってみたい、点ててみたい、お茶をいただいてみたいという気持ちが起こるんですよね。ところが、個人蔵のものでも、国宝に指定されてしまうとお茶を点てていただくという当たり前のことが許されなくなるのだそうです。
四方がガラスのケースに入った『志野茶碗-銘卯花墻』はぐるぐると巡りながら全体を見ることができますが、背の低い私には見込みが見えない。高台ももう少し見やすいといいなぁ。この人込みでしゃがみ込む勇気はないもんなぁ。別のケースの『大井戸茶碗-銘喜左衛門』など数点の陶磁器は正面しか見えません。 後ろ姿や他の角度からの形を見せて欲しいものもあります。せめて、鏡を使ってくれればなぁ。お茶碗を見るのなら、やはり茶室の設えで、取り合わせのセンスも見たい。
「あ、出てたんだァ!」展示室に入った瞬間に奥の方にある『風神雷神図屏風-俵屋宗達筆』が目に飛び込んできました。琳派マニアの私は、京都まで見に行きました。京都の建仁寺で見た時は、その迫力に圧倒され、鳥肌が立つような恐怖さえ感じました。
人が少なくなる瞬間を待って、屏風の前に立ってみると、かつてこの屏風に感動したことが信じられない。「会わなければよかった…」 久し振りに会った憧れの人の変わり果てた姿。
保護のため、ぴかぴかに明るい照明ではありませんが、白々とした光の中で見る『風神雷神』は、絵から抜け出してしまいたいと思っているのではないかと、もしかしたら、これは抜け殻なんじゃないかと思うほどに、薄っぺらな姿でした。
「野におけ、れんげ草」ということなのでしょうか。建仁寺では、陽の光がほとんど届かない室内に置かれていました。何代も人が生きていた傷跡の残る薄暗い部屋に、ケースも何もなしに置かれていました。一面の金色に浮かび上がる『風神雷神』の姿は、まさに神。自然への畏敬を感じさせるのに、これほどの効果はあるでしょうか。金色を多用する琳派の意図、計算はそこにあるんですね。
この「日本国宝展」は、「日本のたからもののカタログ」です。 ここで見ておかなければ、この先、決して見ることはできない。というものは少ないでしょう。東京、京都、奈良の国立博物館が所蔵しているものが多いのですが、これらは常設で展示されているものがほとんどです。しかも、ゆっくりと見やすい展示で見ることができます。他の美術館、寺院が所蔵しているものも、展示の予定を調べて出掛ければ見ることができるでしょう。時間があったら、平成館に繋がっている本館、別館の法隆寺館、表慶館も見て下さい。展示の方法がそれぞれ個性的で、平成館に置かれなくてよかったね。と言いたくなる、しあわせな「たからもの」がまだまだ、たくさんあります。
展示が2週間で入れ替えられるものが多く、展示ケースが変わるものもあります。冒頭のホームページで事前に調べたほうがお目当てに出会えます。
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