Arts Calendar/Art's Report site/《WADA Map》modern sculpture
Vol.74
「近代彫刻−オブジェの時代」展
2001年2月10日〜3月31日
(休館日:毎週木曜日、2/13、3/21)
横浜美術館
見慣れた感のあるロダンなどの彫刻が並べられた最初の展示室。「この辺はつまんないな」と思いつつ眺めていると、人体や顔というリアルな皮膚の下に、どろどろとしたマグマやグロテスクな肉片があるようで、無気味。 どれも両手にちょうど支えられる人の頭くらいのサイズ。持てそうな形ではあるけれど、わずかでも力のバランスが崩れたら皮膚を破って「ぐちゃっ」と崩れそう。熟れ過ぎた果実のようで腐臭さえ感じてしまう。ブロンズや石膏の無機質な彫刻なのに。手に持てそうなサイズがそんなことを考えさせるのだろうか。何度も見たことのあるブロンズにこんなことを思ったのは初めてだ。唯一、軽やかさを感じるのはマティスのブロンズ。これは次の展示室『絵画から生まれたオブジェ』への間奏となる。
19世紀の、実物に忠実であることが前面に出たような印象の作品は、苦しい。遊びの感覚や試みをストイックに拒否しているようで。その息苦しさは、この展覧会では、マティス、ピカソの立体が並ぶところから、劇的に自由に開放的なものになる。人の形もプリミティブな祈りの像へと時代はいったん溯ったような彫刻が続き、そこからはオブジェというべき作品へと変わって行く。でも、それはまだ「塊」である。
塊は分解されて、近代より現代美術と言ったほうが通りがいい感のオブジェの展示室。『空間と構成によるオブジェ』。今にもバラバラになってしまいそうな危うさと、崩れないギリギリのバランスが空間に浮かぶ。SF映画の中で会ったことのあるような顔。分解した機械から飛び出したような動き続ける部品。次の展示室へ、ただそこにあるだけでは「これで完成」というゴールが見当たらないオブジェへと導かれる。その中にあるストーリーや作家のアイデアは、外へ外へと放出されていて、何か意味を捉まえようとするには、見る者の内面も引っ掻き回さなければならなくなる。そこで、最初の『粘土と蝋から生まれたオブジェ』へと戻って行くような気がする。あの崩れそうなロダンやロッソの彫刻の頭の中に、何かを「形にする」プロセスの迷宮があるよう。
この展覧会は時代を忠実に辿っているような印象を持つが、実はそうではない。展示室(カテゴリー)で、区切られているものの展示されている作品の時代は、200年間を行ったり来たりしている。確かに1800年代は彫塑の人体像の展示が多いのだけど、1900年代に入ると使われる材質や表現方法と、時代の新旧に関連はない。近代彫刻の年表として見るのか、オブジェというアプローチのカタログとして見るべきなのか、今ひとつ意図が不明。彫塑は絶滅した表現ではないし。
2001年2月9日
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