Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》Rinaldo Alessandrini Harpsichord Recital
vol.36
'01. 6. 6.
リナルド・アレッサンドリーニ チェンバロ・コンサート
(Rinaldo Alessandrini Harpsichord Recital)
会場:高知県立美術館ホール
わずか399席とはいえ、高知のようなところで、チャンバロのような地味な楽器の演奏会がソールド・アウトになり、当日も何人かにお引取願ったと聞くと、それがいかに著名な演奏家だったにしても、いささか驚いた。いったい何が起こったのだろう。
僕がチェンバロ・リサイタルを生で聴くのは、もう二十年ぶりのことになる。 '80年10月24日に地元の演奏家である西沢沙璃さんの演奏を聴いて以来のことだ。そのときにチェンバロはとても音が狂いやすい楽器で、調律や維持が大変だと聞いた覚えがある。そういうこともあって滅多に生演奏に触れる機会がないことや貴族文化のイメージがつきまとうからか、明るく優雅な響きにどこか高貴なものさえ感じさせてくれる。
しかし、ピアノよりも少々たくさんの音を同時に出せるくらいでは及びもつかないくらい、ピアノと比べてしまうと表現力に乏しく、続けて聴いていると次第に単調さのなかで倦んできてしまう部分もある。でも、逆に単調であるからこそ、安心して身を任せられるという側面もあるわけで、何につけても過剰の時代とも言える現代では、むしろ癒しに繋がる響きでもあるわけで、音楽の演奏に表現の面白みを求めるよりも癒しを求める向きには、実に心地のよいリラクゼーションを与えてくれるものであることは、今宵の演奏を聴いているとさもあらんと非常によく解ったが、僕の好みではない。
そういう意味では、響き自体の鮮度には慣れてきてしまい、心地よいときをも過ぎて、少し倦んできていたにもかかわらず、最後の曲“フランス組曲第5番ト長調BWV816”が最も心に響いてきたのだから、やはりバッハはたいしたものなのだろう。それまでの曲に比べて、格段に抒情的で、変化にも富んでいた。
それにしても、近年とくに指摘されている癒し系のブームがこんなところにまで及んできているとは、いささか驚きであったばかりでなく、それだけストレス社会に人々が疲弊してきているのだろうなどと、およそ演奏会を楽しむというよりも、チェンバロの響きを浴びながら、のんびりと自由連想に浸っている快感があった。そういう味わいが奇妙なまでに新鮮な、どこか不思議なコンサート体験であった。
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