Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》T.Suzuki&M.Miyata DUO

vol.40 
''01. 9.30.  高知県立美術館能楽堂

鈴木俊哉&宮田まゆみ デュオ・コンサート
“悠久の虹のかなたにであう西洋と東洋”
 

 今年の高知県立美術館の能楽堂コンサートとしてのプリゼンテーションは、東洋の伝統楽器「笙」と洋楽の管楽器「リコーダー」のわずか二本の楽器によって古今と東西を融合させたスケールの大きな音体験だった。どちらの楽器もコンサートとして聴くことは珍しいものだが、音自体を聴くのさえ初めてというわけではない。いささか単調なものになることを覚悟して臨んだのだが、とんでもない思い違いだった。ど素人の僕でも二人が超絶技巧の持ち主であることが容易に伝わってくる。

 オープニングの現代曲のデュオ『輝夜姫』こそ、橋懸りでの演奏だったために、僕の席からは能舞台の柱がちょうど影になって姿が見えず、気が散ってしまったが、二曲目の笙のソロによる雅楽『平調調子』では、パイプオルガンから物々しさを取ってハーモニカに荘厳さを与えたような、今風にはシンセサイザーの響きにも似ていながら、電子楽器には真似のできない生きた息遣いを感じさせる響きに驚かされた。ゆっくりとした息の長い音が響き渡り、片時も途切れることがない。音の数も高低も変化しているのに、指さえもほとんど動いているようには見えず、能舞台の真ん中で捧げ持つようにして奏でている姿には神々しささえ覚えるほどだ。

 今回のコンサートは、聴くものである以上に観るコンサートだという予感は、このとき覚えたものだったが、三曲目のリコーダーのソロによる尺八本曲『鶴の巣籠』には、ますますその感を強くさせられた。一体どうやってこれだけ多種多様な響きを出しているのだろう。けっして複雑な構造を持った楽器ではないはずなのに、実に多彩な響きが繰り出され、半ば呆然としながら観入っていた。これは間違いなく、観ながら聴かないと得られない感動だと思う。リコーダーが舌や唇を駆使するだけでなく、足まで使って演奏される楽器だとは思いもよらなかった。しかも芸当のように多彩な響きを披露しているだけではないのだ。基本的に柔らかさを湛えた響きをベースにしながらも緊張感漲る響きを連ね、情感としての哀切や癒しさえ伝えてくるのだから恐れ入った。    
 
 四曲目は、現代の作曲家細川俊夫による『鳥たちへの断章Vb 』のデュオで、この日の演奏のなかで僕が最も気に入ったものだ。わずかに二つの楽器による演奏なのに、大きく広がりがあって、実にドラマチックだった。映画を愛好する僕としては、まさしく映画音楽にもうってつけのように感じるほどの劇性の強さに驚いた。音に驚かされ、響きに驚かされ、ここに至って遂に楽曲に驚かされたという感じで、コンサート・プログラムとしての構成の巧みさに感心させられるとともに、休憩の後の第二部に寄せる期待が募った。

 第二部は演奏者たちも予定外だったという簡単なレクチャートークで始まった。それはそれで悪くはなかったが、人柄の偲ばれる二人の話ぶりに親近感を覚えつつも、第一部で与えてもらった心地好い緊張感の伴った空気がへんに崩れてしまったような気がする。G.B.スパディの『たとえ私が去ろうとも』やJ.S.バッハの『無伴奏パルティータ』といった古曲のリコーダー・ソロをくつろいで聴きながらも、どこか聞き流してしまったような印象があり、リラックスした心地好さとはちょっと異なる気分が残った。笙のソロによる武満徹の『セレモニアル』で、そういう意味での気分的なものは、かなり浄化してもらってから、リコーダー・ソロによるS.シャリーノの『雲に捧げられたテキストの中で』とデュオによる原田敬子の『第3の聴こえない耳-2』というふたつのバリバリの現代音楽に臨んだが、その醍醐味を味わうには到らなかった。リコーダーを吹くのみならず、小さく打ち鳴らしたり、あるいは、横にして吹き込んだり先を塞いで吸い込んだりして音を出す特殊技法を駆使した演奏は、物珍しくも興味深くはあったが、音の静寂との調和のなかでこそのものであり、聴く側にも張り詰めた空気が鑑賞環境として準備されていないといけない。主催者側は、この二曲の演奏時には空調も切って少しでも音を消そうと配慮したようだが、なにぶん客席からひっきりなしに漏れる咳払いや鼻を鳴らす音、座席をぎしぎしいわせる音が気になって、演奏に集中できなかった。

 それらが通常とは比較にならないほど気になった背景には、この曲が聴く側にある種、緊張を強いる側面を持った楽曲であるが故に、聴衆に通常以上の緊張による多量の咳払いを促した側面とそのノイズに対して聴衆が敏感にならざるを得ない側面の相乗的なものがあったように思う。ライブでこその楽曲でありながら、ライブで楽しめるのは稀有なことだと思わざるを得ない、ある種の矛盾を感じた。強いられる緊張感に応えつつ、ノイズを発生させることのない訓練が、ある程度身に付いた者ばかりという、極めて恵まれた聴衆群のなかで鑑賞しないと楽しめそうにないと思った。少なくとも、アンコール的に座興披露した「かえるのうた」の演奏が最も喝采を浴びるような鑑賞環境に馴染むプログラムではなかった。結果論にすぎないかもしれないが、個別的には悪くはないレクチャートークも、このプログラムには適切ではなかったように思う。


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