Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》3・13 piano concert
vol.49
マルク=アンドレ・アムラン ピアノコンサート
'02. 3.13.
会場:高知県立美術館ホール
なんとも品格のあるステージだった。第一部は、ベートーヴェンの作曲した32のピアノ・ソナタの第1番[ヘ短調op.2 No.1]と第32番[ハ短調op.111]で、さしたるクラシックファンではない僕でもどこか聞き覚えのあるものだったのだが、第32番など、こんなにたくさんの音がしていたっけなと新鮮に感じた。高音部での長いトレモロなど、まるで音の泡が湧きあがり広がっていくような響きで、驚くとともに何とも言えない気持ちが湧いてきた。僕などにも判るような、これみよがしの目立った弾き方をすることなく、さりげなく演奏しているのだが、こともなげに柔らかくかつ大きな音でピアノが鳴っている。よほど手首と指の筋肉が強く柔軟なんだろう。僕は、ベートーヴェンの楽曲のイメージとしては、今までに感じたことがないくらいに現代的な印象を受けた。
第二部の始まりは、日本初演とのことである自作の「コン・インティミッシモ・センティメント」で、いくつかのピースで構成されていたが、中音域の絶妙に澄んだ柔らかい響きが魅力的なピースが素敵だった。どんなふうにすれば、あんな艶やかな透明感が出るのだろう。キー・タッチもさることながら、きっとペダルの使い方が絶妙なんだろう。似たような音は耳にしても、こんな澄んだ響きは初めて聴いたような気がした。
続くエイトル・ヴィラ=ロボスの「野生の詩」は、直前の自作曲とはうって変わって、激しく強い音が連打される。さまざまな指使いを目にも鮮やかに華麗に披露してくれた。驚いたのは、どんなに大きく強い音を出しても、そこには常に柔らかさが響きとして宿っていて、例えば、十年くらい前に聴いたジョン・リル(だったと思う)のまるで打楽器のイメージすら想起させる強く逞しい響きの大きな音とは際立った対照を見せていたことだ。わずかな指の動きであれほど大きな音が、しかも柔らかさを湛えて生み出されることに、改めて指と手首の筋力と柔らかさを思い知らされる。だから、どんなに大きな音を出していても、動作的には叩いているようには見えないで、あくまで弾いているというイメージのほうが強い。また、音の響き自体にも、叩いたような音という印象が全くない。それでもってあれだけ大きな音が出るのは不思議で仕方がないが、コンパクトなスイングで飛距離を出す打者のように、スピードとタイミングが絶妙なのだろう。全く以てその指の動きの速いこと。残像のせいか、何十本もの指が鍵盤のうえを舞っているように見える。
音はシャワーのように降り注ぎ、県立美術館ホールのヤマハCF−3がこれまでに聴いたことがないくらい、フルに鳴り響いていた。おのずと聴衆の目は見張られ、耳は広がるという圧巻の演奏に僕も息を飲んでいた。そして、叩かずに大きな音を出す印象が定着したところに、最後は実際に拳で鍵盤を叩く奏法でこの曲が終わり、なんだかとても象徴的な気さえした。
この曲の演奏を終えたときは、格別に大仰な仕種だったわけではないが、なにか総てを出し切ってくれたような充実感と燃焼感をこちらにも呼び起こしてくれる感じがあって、これまでアンコール・ピースとして弾いてきた自作を今回あえてリサイタル・プログラムに組み入れてきたのは、そういうことだったのかと、単に対照的な音の響きを楽しませてくれるプログラムという以上に、なにかしら感じるところがあった。
それにしても、日本で四回しか行われない今回のソロ公演の西日本で唯一のコンサート会場が高知であるとは何という幸いだろう。しかも、わずか399席の小ホールだ。こんな贅沢には滅多に恵まれるものではない。そのせいか、一見して県外からの聴衆と思われる人たちが何人も目についた。僕の隣の席の方も、休憩時間にヤフーからプリントアウトした地図を見ながら、今晩の宿の確認をしていた。もしかしたら、今宵は県外客のほうが多かったのかもしれない。
「ヤマさんのライブ備忘録」の扉へ
無断転載禁止 掲載:アーク編集室