Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》4-9
vol.50
'02. 4. 9.
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
会場:高知市文化プラザかるぽーと大ホール
四月七日にオープンした市民ホールの開館記念事業の目玉公演の一つとして、名高いドレスデン国立歌劇場管弦楽団が来高した。プログラムは、モーツァルトの交響曲第36番“リンツ”とマーラーの交響曲第1番“巨人”で、指揮は、予定されていたジュゼッペ・シノーポリが一年前に急逝したためにジェイムズ・コンロンとなっていた。ライブでは聴いたことがなかったマーラーを一度は生で楽しんでみたいというのが、高額チケットを買った僕の一番の動機だった。
第一部の“リンツ”は、ホールの御披露目を祝うにふさわしく、明るい華を添えながら、実に軽やかに演奏され、いい心地だった。弦の響きの艶やかな柔らかさが印象的で、指揮者コンロンの五十歳過ぎにして、薄くなりつつも伸ばした髪の柔らかさと実に似合っているなぁなどと他愛ないことに喜びながら、リラックスして聴いた。だが、正直なところ、もちろん悪くはないけれど、こんなものかしらという拍子抜け気分も味わっていた。指揮者の髪の毛と似合ってるなんてふざけた連想に遊んでいたのも、そんなところからなのかもしれない。演劇ホール仕立てのせいか、響きがかなりデッドになっている気がしたのだ。僕にしては実に珍しいことに、チケット発売日に並んで入手した絶好の席で、すぐ近くの来賓席とおぼしき席に松尾市長の姿も見える。絶好の位置で聴いてこれだとコンサート・ホールとしてはどうなんだろうなんてことも思ったりした。オープン前の三月に施設見学したときには、PAでロックを流していて、実に響きよく聞こえていたのに、と少々意外な気がしていた。客席が空の状態と満席に近い客の入りでは、音の吸収される具合がこんなにも違うのかとか、あれこれ考えさせられた。
ところが、第二部の“巨人”になって、印象が一変した。確かに編成も厚くはなったのだけれど、オケとしての鳴り方が全然違っていたように思う。第一楽章冒頭のかすれ、こすれるような弦の通奏音のなか、抑えた響きでホルンが鳴り、ずっと遠くの彼方から聞こえてくるような印象を与えることで空間的広がりを感じさせ、楽曲自体のスケール感を偲ばせる。静かな演奏なのに、最初から鳴り方が違うような気がした。思いがけない引き込まれ方をしてから後は一直線、第一部のような雑念に遊ぶゆとりもなく聴き入っていた。
第一部の華ある明るさではなく、とても勇壮な明るさが印象的だった第一楽章の後、それを受けた第二楽章のよりいっそう勇壮さを増した旋律に挟まれた三部形式の真ん中部分の美しさには惚れ惚れとした。第三楽章と第四楽章は続けて演奏されたが、それまでと打って変わって実に深みのある情感が印象深かった。
ティンバニーとコントラバスでシンプルに始まったときから心に泌み渡ったメロディが楽器を替えて移っていく。次第に数が増え、掻き立てられる情感も激しさ、優しさ、不安、戸惑い、剽軽さなど、これほどまでに盛り沢山に詰め込むのかと思われるほどで、まるで人間の感情の総てを写し取ろうとしたかのようだ。これをロマン派と呼ばずして、何をロマン派としようなどと、いささか興奮していた。マーラーのこの曲自体は、初めて聴くわけでもなく、聴き覚えのあるところが随所に現れるのに、本当に初めて出会ったような気がしたのだ。
何と言っても、観るに忙しい音楽だったのが最高に楽しかった。誘発される感情も盛り沢山だが、楽器の見せる表情も実に豊かだった。さまざまな場面でソロ・フューチャーされている楽器があり、僕程度の耳では、それがどの楽器の出している音なのか把握しきれない。まして、そのパートの誰が演奏しているのかともなると、目で追うしかないのだから、短いソロの間に突き止める追い駆けっこにドンピシャだったり、当てが外れたり、けっこう目まぐるしい。加えて、それぞれの楽器が種々の音色を聴かせてくれるので、よけいに忙しくなる。濃密で楽しく、実に贅沢な第二部の約一時間が、瞬く間に過ぎていった。やはりオーケストラは、管楽器が充実していないといけないとつくづく思った。
「ヤマさんのライブ備忘録」の扉へ
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