Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》Hungary_OPERA

vol.60
'02.10.31.      
ハンガリー国立歌劇場「カルメン」高知公演
会場:高知市文化プラザかるぽーと大ホール

カルメンと言えば、僕にとっては十五年前に観たフランチェスコ・ロージ監督の同名の映画が、
http://www4.inforyoma.or.jp/~mai7665/1987/07.htm
オペラのスタイルを最大限に活用した、ほぼ決定版とも
言えるような強い印象を残しているのだが、演目の如何によらず、きちんとした形の生のオペラを観ること自体が二十年以上前にウィーンで棧敷席を経験して以来となるのだから、何はともあれ、といった気分で赴いた。

 二日間の連続公演はダブルキャストになっていて、僕が観た初日は、カルメンをエルジェーベト・エルデーイ、ドン・ホセをアッティラ・キッシュが演じていた。映画では、それぞれジュリア・ミゲネス・ジョンソンとプラシド・ドミンゴが演じていたのだが、映画で観たカルメンの奔放で猥雑でありながらも下品なだけではない、妖しく激しい女の強烈なパンチ力からすると、エルデーイのカルメンは、所作に激しい力強さがないし、声質も似合ってない気がした。名曲“ハバネラ”を歌っているときなど、ブレスが苦しげで、ちょっと気の毒な感じだ。キッシュは、第2幕のカルメンの潜む宿を訪ねる際に、姿も見せずにバックステージから朗々と歌声を響かせたのち舞台中央に登場してきたところが印象に残っている。第2幕の終わりの、帰営を促すラッパの音とカルメンの誘いとの狭間で揺れるホセの心情そのままに、それぞれのイメージに適った音楽が交互に掛け合う形でホセとカルメンが歌う場面では、カルメン側の響きとしてのカスタネットがとても効果的に使われていたが、僕の観ていた席が三階席の最前列というあまり良い席ではなかったために、オーケストラ・ボックスのなかがよく見えて面白かった。少々汚れた感じの白い板に二つのカスタネットを固定していて、それを膝の上において両手でコンガなどを叩くような調子で、柔らかく鮮やかな手の振りで音を出していたのがよく見えた。出番のあるところで途中から入ってきたので目が行ったのだが、出番が終わるとまた引っ込んでしまうくせに、座っている間は譜面を捲っていたのが妙におかしかった。

 それにしても、ある意味で当然のことなのかもしれないが、オペラではオケが目立たない。やはり幕があがると舞台劇や歌唱に注意が奪われる。だからこそ、幕間の間奏曲とか前奏曲や序曲が勝負どころというか、オケの演奏曲としてコンサートなどで取り出されるのが序曲や前奏曲なのは、そういうことなのかと妙に新鮮な気持ちで得心がいったのが愉快だった。
 歌唱の点で最も充実していたのは、ミカエラを演じたアンドレア・ローリーだったように思う。ことに第3幕のホセの落ちぶれた姿に悲嘆しながら密輸団から抜けることを願う歌声が切々と美しく、情感が篭もっていた。


 舞台演出としては、群衆シーンの捌きのうまさが目立っていた。雑然とか騒然といった雰囲気を醸しつつ、決して乱れた混みようを感じさせなかった。ステージの大半を大きな舞台装置で飲み込み、空間的広がりを奪ったところに何十人もの合唱団やバレエ・ユニットを登場させ、うまく捌くことでそういう雰囲気を作り出しているところやダンスの鮮やかさが目を惹いた。だが、あの随行者のように登場し、頻繁にフラッシュ撮影をしていたカメラマンはどういう意味の役処なのだろう。カルメンには、パパラッチがいたのかと思うような意味不明の目立ち方をしていた。ミクローシュ・シネタールの演出による字幕付きのギロー版ということであれば、ここに描かれたカルメン像のほうが本来的なものかもしれないが、同じく恋に奔放でありつつも、ホセがいったん離れることを選ぶまでは、あくまで彼との恋に筋を立てていたフランチェスコ・ロージ版の人物像のほうが自身への忠実さへの美学と凛々しさが窺われて魅力的だった。


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