Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》L'odeur du voisin
vol.46
アリアス・カンパニー公演「隣人の匂い」[L'odeur du voisin]
(高知県立美術館舞台公演シリーズ VOL.21 )
'02. 1.30. 高知県立美術館ホール
男がテーブルに一人掛けの孤独な食事をしている姿を冒頭で観たときに、てっきり自分の部屋か何かだと思っていたら、暗転の僅かな隙に瞬時にレストランに変わって驚いた。ダンス公演だと思っていたのに、演劇のようだと感じていたら、実際これまでに観たいかなるダンスよりも具象的で、人物描写や性格表現までしていてダンスらしからぬステージだった。カリカチュアライズされた挙動の可笑しさが、入れ替わり立ち替わり来店する客たちに窺えるのだが、彼らに振り回されるウェイターと我関せずといった態で長い手足をダイナミックに振り回しながら踊り続ける女性がいて、日常的な場面のなかでの風変わりさが、風変わりな日常と渾然としてくる奇妙な味わいがあった。この感じは、どこかで観覚えがあるような気がしていたが、しばらくしてエミール・クストリッツァ監督の映画作品から受ける感じであることに気づいた。
それにしても、ダンサーみんなの身体の柔らかいこと。ことにカイリ・ウォルタースの長い手足と柔軟性には目を観張った。第一部のレストランにしても、第二部のオフィスにしても演劇的な奔放さを繰り広げながら、ダンスの設計自体は実に綿密に正確に構築されていて、流麗に繋がっていく。流麗さというものは、普通は洗練や高尚へと向かうとしたものなのに、彼らのは、俗な滑稽さへと向かう流麗さという僕にはとても珍しく映るものであって、新鮮さを感じるとともに大いに驚いた。
驚いたと言えば、第二部のオフィスの人間模様を演じていたときに、やおらカイリ・ウォルタースが乳房もあらわに下着一枚になってタイピングの動作を始めた場面のことだ。
コミカルに身体を揺らせながら、柔らかい肢体を思い切りのけぞらせてタイピングを続けている。揺れる乳房の動きを楽しんでいたら、のけぞらせた首の向こうに顎しか見えなくなって、ちょうどそれが尖った頭かツノのように見え始め、揺れる乳房の乳輪を眼とするカエルの化け物のようなものがオフィスでタイプを打っているように見え出したのだ。第一部では最後に人間が次々と犬と化していき、まさしく犬さながらの見事な吠え声を様々に聞かせながら幕を閉じたのだったが、第二部では何故だかオフィスだというのに、冒頭からその犬の吠え声が続いていた。ところが、裸のキャロリーヌがカエルの化け物に見え始めたときには、それがカエルの鳴き声になっていることに気づいた。やはりそうだったのか、と思わずニヤリとしたものだったが、何とも突拍子もないステージだ。少々の身体の柔らかさでは、とてもできない楽しい芸当だった。
彼らのダンスを観ていると、人間というのは本当に千差万別で、普通の人々のような顔をしてても一人一人を観察すると、個々にはみんな奇妙で風変わりであるという至極当然のことを改めて思い起こさせてくれる。彼らのカリカチュアライズされた奇妙さが人間という生きもの自体の奇妙さに敷衍されてくるところが面白い。それは、おそらく彼らの表現する人物描写や性格表現が極端で変なものでありながら、総てどこかで観たことがあるような、思い当たる人物が浮かぶような、キャラクターの核心を捉えているからだろう。俗っぽい下品さをうまく取り込んでいる点も大きいように思う。前回の高知県立美術館の舞台公演シリーズ
VOL.20 の「J−ダンス最前線」でもそうだったけれど、ダンスと一口に言っても、実に様々なテイストがあることを知らされた気がする。こんなダンスもあるのか、と妙に感心していた。
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