Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》kapoela performance

vol.54

'02. 7. 6. 高知県立美術館ホール
カポエィラ ヘジォナウ ジャパォン公演
「ブラジル生まれの格闘芸術 カポエィラ パフォーマンス」

(高知県立美術館舞台公演シリーズ VOL.22 )

 屋外の中庭で行う予定だった公演が折からの雨模様でホール公演となったが、ほぼ満席に近い観客動員を果たしていたから、中庭でやっていたら収容しきれなかったかもしれない。チラシの惹句に“アートか?格闘技か?ダンスか?祭か?”とあるように、カポエィラと言って誰もが頷けるような知られた伝統芸能ではない。かく言う僕も初めて観るものだったし、カンパニーを主宰する矢部良が公演披露と併せておこなっていた解説のなかで語ったカポエィラの歴史を聞いて、そう言えば、支配者から練習を禁じられたために音楽に合わせた民族舞踊に見せ掛けて伝承された格闘技があるという話は、以前に聞き覚えがあることを思い出した。

 それにしても、格闘技をアートとして観る感覚というのは、どういうところから生まれるのだろう。だが、考えてみれば、日本には空手という格闘技があり、中国には太極拳があり、ある種、型の美を競う側面もあったりするから、格闘技を身体パフォーマンスとしてのアートとして受け取ることには馴染みもなくはない。しかし、そういう意味では、僕の観たカポエィラは、静的な型の美を味わうのではなく、組み手としての手合いのなかでの双方の動きと技に対する予測と主張におけるライヴ・セッションのようなものを楽しむものだという気がした。そこでは、ジャズのようなインプロヴィゼーションが音ではなくて、身体の動きの掛け合いとして、セッションの醍醐味を提供してくれている。加えて、ビリンバウという弦楽器にパンデイロやアタバキという打楽器によるリズムとお囃子のような歌と手拍子が、そういう音楽性をより強調しているようでもあった。もっとも、僕の観た動的なカポエィラである“ヘジォナウ”とは異なる流派として静的な“アンゴーラ”という流派もあるらしい。そちらは、もしかしたら、空手や大極拳のような風情があるのかもしれない。そう言えば、空手にも型を重視した流派と格闘性を重視した流派があったように思う。身体パフォーマンスとしての格闘技の普遍的な二大潮流なのかもしれない。静的なアンゴーラでは、当然のことながらリズムも歌も変わってくるのだろう。

 第一部は、そんな新鮮な興味を与えてくれた後、“サンバ・ジ・ホーダ”という腰の動きを強調したサンバの踊りで盛り上げて終わった。矢部氏によるとカポエィラが咎められそうになるような場面で、監視者の目をくらませる意味もあったそうだが、激しい踊りではあっても、格闘性ではなくセクシュアルでホットな踊りだ。

 驚いたのは、第二部で体験カポエィラのコーナーがあって、観客にステージに上がる希望者を募ったところ、声を掛けた矢部氏がたじろぐほどの多数者が参加したことだった。さすがは“よさこいサンバ”の土地柄だ。子供から大人まで男女ともども大勢がステージに上がり、カポエィラ・ヘジォナウ・ジャパォンのメンバーや高松で教室を開いてもいるというブラジル人の飛び入りカポエィリスタと賑やかに楽しげにカポエィラを体験し、会場を沸かせた。美術館の舞台公演シリーズのなかでも少々特異なテイストと高揚感を残してくれるステージだった。


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