Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》KUROTENT*kintamamusume
くんてき会館は、小さな神社の境内にある畳敷きの広間にステージを構えた古めかしく粗末であるがゆえに何処か懐かしく心地のよい空間で、この芝居のように江戸時代の見せ物小屋を舞台にした演目だと、まさにうってつけと言ってもいい設えだ。北回りと南回りの二手に分かれて、南俊一、坂口瑞穂という二人の座付き作家それぞれの作・演出によるデビュー作の競演旅公演という趣向らしい。くんてき会館は、地元劇団の「演劇センター'90 」が年二回の定期公演に使っているところで、その劇団名からも推察できるように、今回の黒テント公演の共催者に同劇団の名が挙がっている。もうひとつ共催者として名を連ねているのが「高知演劇ネットワーク・演会」で、これは近年いくつも誕生した高知の若い劇団の連携体のようなものらしく、現在7劇団が参加しているようだ。
僕は、黒テントの芝居を観るのが今回初めてで、演劇センターや黒色テントを名乗っていた頃のものも観たことがないが、地元劇団との提携も含めて、こういう公演形態というのは、伝え聞く黒テントのイメージに適ったものであった。だが、いわゆる小劇場の草分け的な劇団のなかでも特に政治色が強いというふうに聞いていたイメージからは、意外にも思える芝居だった。若手のデビュー作ということで世代的差異が大きいということかもしれない。それにしても、半陰陽や多毛症の女性というマイノリティに目を向け、異形の姿に神を見い出す少女や亀を先生と呼び、付き従う男などを登場させながら、芝居そのものにはイメージ喚起力に富んだ寓意の豊かさが感じられなかったのは、どうしてなのだろう。金玉ムスメ(山下順子)の見せ物口上には、やや聴かせる言葉のリズムや節回しがあったが、登場人物たちが何かと言えば金玉金玉と連呼しても、今や言葉にも表現にも嘗てほどのタブーがなくなっているから、それだけではさしたるインパクトもなければ、笑いも触発されない。でも、ヒゲ女(平田三奈子)のどこか醒めた哀感とも諦観とも知れぬ風情の潜んだ理知的な印象の造形は、声の調子もよく、心惹かれるものがあった。
ところで、オンシアター自由劇場のほうの『上海バンスキング』は二十年前に観た覚えがあるが、『金玉ムスメ』でも、あれと同じように役者たちがそれぞれ楽器を携え、演奏しながら練り歩いていた。自由劇場の演奏は格別上手な演奏だとは言えなかった気がするが、生演奏ならではの雰囲気と楽しさを伝えるには充分だったような記憶がある。今回の黒テントの生演奏は、残念ながらそのレベルにも届いていなかったように思われる。それでも、くんてき会館ならではの客席とステージの一体感というものには、演劇ならではの高揚感があって、しかも満席の入りを果たしていたから熱気もあって、表に出たときの秋の夜風が頬に気持ちがよかった。
「ヤマさんのライブ備忘録」の扉へ
無断転載禁止 掲載:アーク編集室