Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》MABUDACHI
その6/6
「多足の思考回路」:めだかさん
ヤマ(管理人)
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*サダトモの父親
(めだか)
私、サダトモの父親ってけっこうイケてると思いました(笑)。でも、どうして「やっぱり殴ることにした」のかしら?
(ヤマ)
人と人との関係性において、やはり言葉だけでは不足だとの不安は、拭えないものですよね。大事なところでは、身体性をも含めて関わり交わり合わなければって思うのは、何も恋愛に限った話じゃないような気がします。
(めだか)
父親には殴ったことの是非への疑問があったとしても、あれはサダトモにとってショックなことだったわけですよね。
(ヤマ)
もちろんそうですよね。
(めだか)
私は、それを父親への罪悪感と観たのですが。サダトモは父親が好きだったんだろうな、と。その父親の手を上げさせるまでに自分が追い詰めたことへの罪悪感が反省文を書かせる力になったのかもと思いました。
(ヤマ)
同感ですね。
(めだか)
あの父親は自分の子どもに対してもちゃんと距離を保ってる、マトモな大人だったと思います(笑)。
(ヤマ)
そうですね。でも、こうすればこうなる、などという自信や確信をもって臨めないんですよね。あれこれ迷って、やっぱりこうすることにした、とか言って。あのあたりの自信のなさや迷いとともにある誠実さが、役割への誠実ではなく、息子への誠実だと伝わったときに初めて、それが教育的効果を及ぼし得るんでしょうね。
でも、それって意図して表現できることではないんですよ。役割への誠実さは意図的にでも表現できるものかもしれないけど、それは何の役にも立たないし(笑)。だから、父親って哀しい、と『ロード・オブ・パーディション』みたいな話になっちゃってきましたね(笑)。
(めだか)
実は、私もその前の教護院の経験の辺りから、なんだか「ロード・トゥ・・・」に通じるものがあるなあと思いながら読んでました(笑)。私も父が他界していますが、まず思い出せるのは何を教えてくれたかではなくて、どういう態度で自分に接してくれたかってことですね。
(ヤマ)
そうなんですよ。でも、これも決してひとつのパターンじゃなかったですよね。親は親なりにあれこれ考えながら接するものですし、同時に、四六時中それだけのエネルギーと共に臨めるものでもありませんし(笑)。
(めだか)
接し方が父親自身のためか、自分を思ってかということは、子どもは鋭く見抜くものだと思います。私も自戒して付き合いたいですよ(笑)。といっても、自分の都合で怒っちゃってから「しまった〜!」と謝ることが多いですが^^;
(ヤマ)
いやぁ〜、後から気づいたりもするもんですし、もちろん見抜いちゃうようなとこもありますけど、子供のほうだってパーフェクトではないわけですよね。自分の子供のときのことを思い起こせば自明のごとく(笑)。ここらあたりの半ば運命的な偶然性にも支配された部分は、人間関係の妙味と言えば妙味ですし、難しさというなら、とてつもない困難さですよね〜。
(めだか)
思い出すと私の父親もサダトモの父親と一緒で、子どもを殴らない親でした。それが学生時代に一度だけ殴られたことがあるんです。殴られた痛みよりも、殴らせたことが辛くて大泣きしました(笑)。
(ヤマ)
そういうお父さんが、こともあろうに娘に手を出すとしたら、よほどのことだったんでしょうけど、めだかさんがそのように感じたのであれば、親として誤った選択ではなかったようですね。でも、その案配というのは、やはり「半ば運命的な偶然性にも支配された部分」だという気はしますね。
めだかさん父娘においては、約束されていた必然だったのかもしれませんけど。
(めだか)
息子と娘では父親の態度が違ったでしょうけれど、そういった思い出せる自分への態度の記憶の総括で見ると…やっぱり父親の影響って大きい!(プレッシャー<ヤマ様・笑)
(ヤマ)
娘にとってもそうなんですねー(たはは)。
(めだか)
あの父の子どもがどうして自分だったんだろう。どうしてこの子どもが私の息子なんだろう。と、めぐり合わせの不思議は考えます(笑)。それを言うなら、どうしてこの男が私の旦那なんだろうというのが最たるものですけれど(爆)。
(ヤマ)
あ、それは簡単ですよ。自業自得ってことですから(笑)。
(めだか)
「ロード・トゥ・・・」のあの最後の台詞は、私は凄いと思うんです。父親冥利に尽きる言葉だな、と。でも、私も言えるから、悔しいけれども自分の親に絶対にまだ叶わない(笑)。
(ヤマ)
やはり大したお父上だったんですねー。それが吉と出るのか凶と出るのかについては、めだかさんの人生が終盤にいたらないと判らないことなんでしょうけどね(笑)。
(めだか)
それはそうと、加トサの供えたひまわりの花についての評、納得です。観ていて、夏にしろ変わった花を供えるなあ程度にしか観ていなかったんですが、橋に供えられた花との関連には気付きませんでした。
(ヤマ)
あ、そうですか。どこにも明示はありませんが、僕にはそんなふうに見えました。
ありがとうございます。
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