Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》mongolia
モンゴル人力士の朝青龍は高知の明徳高校相撲部の出身なのだが、彼が横綱昇進をほぼ決定づける日の昼間の公演ということが盛り上がりを呼んだのか、いかにも地味そうな演奏会なのに、399席の会場がほぼ満席状態になっていて驚いた。しかし、朝青龍のみならず留学生を何人も受け入れており、日頃から交流もあって、馬頭琴のバトチョルーンは今回で3回目、オルティンドー歌手のチメドツェイエは2回目の来高だとのこと。公演前日には、地元の高須小学校への訪問演奏もしており、当日の自己紹介を日本語で行う際には、土佐弁を織り混ぜる親しみをも示していた。
驚いたのは、公演開始前にホワイエの喫煙席ロビーで待つ客のなかに、ホーミーという唱法による発声を真似ている人がいて、居合わせた人に感心されながら、「音は出せても、これでメロディを取るのは絶望的にむずかしい。」と話していたのをふと耳にしたことだった。既にここまでの愛好者がいるとは思いも掛けなかった。高知のモンゴル贔屓は、半端なものじゃなさそうだ。
第一部は、まず三人がそれぞれ順番にソロで登場した。最初は、バトチョルーンの馬頭琴だったのだが、民族楽器というと素朴な響きを想像しがちだが、楽曲の素朴さとは対照的に、非常に洗練された柔らかい厚みのある響きを奏でていて、同じ二弦の楽器でも中国の二胡の堅く張りのある響きとは随分と趣が異なっていた。奏法も意外と多彩で、ソロ演奏で聴いていてもけっこう楽しめる。わずか二本の弦からなる楽器とは思えなかった。
チメドツェイェのオルティンドーは、日本の民謡にも通じる、歌い手の個性を反映させた節回しによって、音を長く伸ばして歌う唱法だそうだ。第一部第二部といくつかのモンゴル民謡を聴いたり、日本の“りんご追分”を聴いていると、曲によっては、韓国のパンソリを偲ばせたり、京劇歌唱を偲ばせたり、まさしく日本の民謡を偲ばせたりで、歌唱文化において、これらの国々が共通の文化圏にあることを改めて強く印象づけられる。我々は、モンゴロイドに他ならぬわけだ。
そのように考えてみると、ガントゥルガのホーミーという唱法も、確かに珍しくはあるけれど、詩吟や浪曲などの唸りの響きに繋がる部分があって、そこをさらに突き進めて、喉や口蓋を楽器として使った倍音だと考えると、顔を真っ赤にして詰めた息で音を発している姿に親近感を覚えないわけでもない。歌というと大概は、ある種のカタルシスを促し、気持ちをよくしてくれるものだが、むしろ反対に聴いているだけでも何処か苦しい緊張と我慢を誘発される形で、威儀を正されるようなところに魅力があった。人間を越えた霊界というか、幽界ないしは神界からの声だという感じもあった。
このホーミーを楽器の演奏をしながら披露したりもしていたから、ガントゥルガは、かなり大した人だと思った。琵琶にも似たトブショールや角笛に似たモンゴルクラリネットも演奏する芸達者ぶりでも印象に残ったが、'74
年生まれだそうだから、まだ三十歳に満たず、他の二人とは二十歳くらい離れているわけで、また観る機会があるかもしれない。
ちょうど隣席は、コンサートのチケットのみならず展覧会のほうのチケットも携えた若い女性だった。“モンゴル近代絵画展関連企画”との狙いが的中したかのような観客だったわけだが、普段の展覧会関連企画としてのホール事業以上に、そういう聴衆が多かったように感じられた。
「ヤマさんのライブ備忘録」の扉へ
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