Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》コシ・ファン・トゥッテ

vol.86
'04. 9.29.  
ウィーンの森バーデン市立劇場『コシ・ファン・トゥッテ』
会場:高知市文化プラザかるぽーと大ホール

 地方都市に住んでいると、歌劇をきちんとした形で観る機会はほとんどなく、この『コシ・ファン・トゥッテ』も四年前に観たオーストラリア映画『ハーモニー』('96)の原題が『Cosi』で、映画のモチーフにもなっていて劇中に一部出てきたりするということで観てはいても、全2幕の全てを観たことなど無論なかった。字幕スーパーつきの公演を鑑賞して率直に思ったのは、ひとつ間違えば悪趣味以外の何ものでもない、女の貞節と移り気を試す男の浅はかさを綴った物語を絶妙の味わいで色づけているモーツァルトのセンスの素晴らしさだった。

 こんな物語を歌劇化する気によくぞなったものだと思うとともに、どうしてこんなたわいもない物語が味わい深く伝わってくるのだろうと感心した。愚かしさを批判したり揶揄したりすることなく、かといって、人間そんなものさと達観したり開き直ったりしているのでもない。人間の愛すべき愚かさとして受容し楽しむ肯定感に満ちていて、このあたりがモーツアルトの人間愛などと言われるのだろうなと改めて思った。そして、徹底した俗っぽさを只の俗っぽさに留まらせない歌劇化というのが作家的野心としてのモチベーションだったのかもしれないと思うと、そこに並々ならぬ自信が窺えて面白い。一方、映画『アマデウス』などで示された色好みの趣味の延長線上であるとか、取り澄ました宮廷文化に庶民的な視線を取り入れる狙いがあったとかは特に感じなかった。ただ結果的に随分と革新的だったのだろうとは思う。

 だが、そんなことよりも、作者としてのモーツァルトを刺激したのは、この物語ゆえに現れた“揺れ動く心”を思うさま歌にできるシチュエイションだったような気がした。貞節を誓ったはずのフィオルディリージ(ベッティネ・カムプ)とドラベルラ(エリザベート・シュタルチンゲル)の姉妹が、許婚者がしばらく不在になってたちまち口説かれることに憤ったり困惑したりしつつも「なんかヘン」と心中揺れ動く女心の浮き立ちに喜んだり抑えたりして動揺しているさまは、歌曲で表現するからこそ同時並列で交互に言葉にして繰り返すことが効果的なのであって、台詞劇では絶対に成立しない手法ながら、実に揺らめきというものを鮮やかに表現している。字幕で観ていてもいい加減可笑しいのだが、これが音声で言葉の響きとして聞き分けられたら、もう可笑しくて仕方がないだろう。きっとこのオペラの醍醐味は、ここのところにあるはずだと思うと、イタリア語を解せないのだから仕方がないと思いつつも、最も美味しいところを味わい損ねていることを思い知らされて悔しい(笑)。グリエルモ(マルティン・アハライネル)やフェルランド(ダニエル・ヨハンセン)が想定外の成り行きに狼狽し「ヤバいなぁ」と思いつつも、成り行きの行く末への止みがたい好奇心から、思
わず「面白くなってきたぞ」と友人の恋人を口説くことが止められなくなって心中揺れ動くさまを歌う場面でも同じことが言える。だが、アンビバレントな心情のなかで成り行きに逆らえずに流されるのは、恋に限らず人間の心性のなかでも極めて普遍的なものだ。モーツァルトの醸し出す絶妙の肯定感に包まれて彼らの滑稽な顛末を見届けると、何とも言えない複雑な微苦笑を禁じえなくなる。大いなる満足を得た。

 そして、改めて思ったのが出演した男女の歌い手の若く見映えのする容姿の持つ説得力だ。オペラは何よりも歌の力だからとは言ってみても、かような若者の恋愛喜劇はそれに相応しい歌い手によって演じられてこそのものだと思った。「イマジネーション、イマジネーション…」と念仏を唱える必要のない美男美女ぶりが嬉しく、なかでもエリザベート・シュタルチンゲルは、いかにもドラベルラに相応しい華とコケットリーな魅力を醸し出していて僕の目を惹いた。アルフォンソ(シュテファン・レスレアル)は、それらしい年配が望まれたようには思うが、みな総じて声も美しく、やや線が細い印象は拭えないながらも、バランス的には突出して秀でた者も物足りない者もいないことで、歌劇としての満足度には充分以上のものがあった。僕が観たのは5000円の第2バルコニー席だったが、絶好の席とまでは言えないけれど、表情も見て取れて充分満足できる席だったから、コストパフォーマンスもかなりのものだ。

 いささか眉を顰めざるを得なかったのは、チケットを購入した際に付いてきた解説書とチラシに掲載されていた杉本長史氏の文章の常軌を逸した悪文ぶりだ。ウィーン在住が長過ぎるのか、日本語として完全に破綻していて、読んでて頭痛がしてくるほどで、御本人の名誉のためにも何とかならなかったものかと呆れた。字幕の監修もやっていたようで、開幕前の序曲の演奏中にやおら「ティンパニーのリズムに注意」とか出てきたときには思わず吹き出してしまった。オペラを愛し、普及に熱意を注いでいることは解説書の頒布にも窺われるのだが、やはりそれ相応の洗練がほしいものだ。

 もうひとつ珍しかったのが、1幕で変装した許婚者たちを迎え入れて楽しく興じる場面で、フィオルディリージを演じていたベッティネ・カムプが転んでしまい、ついつい笑ってしまって歌唱に支障をきたしたことだった。転んだのは演出ではなく、ハプニングだろうと思うのだが、歌唱に支障をきたすのは珍しいように思った。でも、それがちっとも不快でなかったのは、舞台全体を通じて一貫して感じられていたリラックス感が、公演にはよい方向で作用していたからだという気がする。いろいろな面でも、楽しさ溢れるステージだった。


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