Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》Kubelik Trio

vol.81
'04. 3.12.     
須崎スタインウェイ復活大作戦第2弾“クーベリック・トリオ”
須崎市立市民文化会館大ホール

 地元の音楽愛好家たちが充分活用されていないピアノを惜しんで行政と共同主催という形で設えたコンサートというのが目について、ちょっと遠出をしてみた。県都から一時間ほどかかる場所にあることを考慮して、開演を午後八時に設定してくれていたのは、平日夜の公演としてはなかなか気の利いた配慮だ。例によってクラシック音楽に明るくない僕には、クーベリック・トリオ(Kubelik Trio)がどういう評価をされているグループなのか見当もつかないが、当夜の演奏は全般的に、落ち着きのある渋みの効いた弦の響きに対し、クヴィータ・ビリンスカの奏でるピアノの音が強すぎるように感じた。

 プログラムの最初の曲は、ベートーヴェンの“ピアノ三重奏曲第5番ニ長調作品70/1「幽霊」”だったが、自分がクラシックコンサートを聴くこと自体が久しぶりで、感覚的な馴染みを取り戻すのに手間取ったためかもしれないけれど、第1楽章からどうにもバランスの悪さが気になって充分楽しめなかった。第2楽章に入って随分と持ち直してきたように感じたのは、僕の感覚のほうが馴染んできたためかもしれない。続く二曲目は、地元高知在住の作曲家武中淳彦氏による“ピアノ三重奏曲第1番イ調「蒼のソナティーネ」”で、世界初演と銘打たれ、クーベリックトリオに献呈とされた曲だった。TVドラマにでも使えそうなフレーズの頻出するところが親しみやすさを与える一方で、ある種の俗っぽさに繋がる印象を残すのは、対照的に現れる格
調を求めたフレーズが取り澄ました印象を与えるのと相乗的なものでもあろうが、音楽のむずかしさというものをつくづく感じさせられたような気がした。ちょっとした違いで、おそらくは効果的に豊かさと深みにも繋がるであろうことが、うまく作用してこなければ、こんなふうな印象になってしまうのは不思議なものだ。演奏会の導入時において、響きのバランスの悪さが気になるような形で僕が接し始めていなければ、また異なる聞こえ方をしていたのかもしれないと思ったりすると、尚のこと音楽というもののむずかしさには測りがたいものがあるという気がする。

 休憩時に会場で会った音楽好きの友人に、グランドピアノの上蓋をあれだけ小さく抑えて開いていても、弦との音のバランスが悪いように思うのはどうしてだろうと訊ねると、アマーティは音が小さいからねとのことだった。入場時に配られたリーフレットを見ると、石川静のヴァイオリンは「ヒエロニムス アマーティ 1627年作」で、カレル・フィアラのチェロは「ニコロ アマーティ 1681年作」と記されていた。
確かに敢えて記されるに足る魅力的な響きを持っていて、特にチェロの音質には魅了されたのだが、トリオとしてのバランスにはやはり疑問が残ったのは、否みようのない僕の率直な感想だった。

 後半は、マルティヌーの“ピアノ三重奏曲第2番ニ短調”から始まったが、第3楽章での弦の頑張りが効いて聴き応えがあった。プログラムの最後は、ドヴォルザークの“ピアノ三重奏曲第4番ホ短調作品90,B.166「ドゥムキー」”だったが、ドヴォルザークらしく懐かしく心に響くフレーズが心地よく感じられた。六つの楽章構成のなかでも、僕にはとりわけ第2楽章での弦の渋い響きが印象に残っている。
 それにしても、こういうふうに地元の音楽愛好家たちが市民ホールと共同主催という形で招聘コンサートを試みるようになっているのは心強い。まだまだ充分にその効果が現れているとは言えない程度の入り状況だったが、少なくともそれぞれが単独で主催し実施するよりは催し物としても意義深く、波及効果の期待できる公演形態だと思う。行政側からはパートナー選別や共同主催としてどこまで踏み込むのかといった点で、整理準備すべき事項が多々あることだと思われるが、積極的に取り組んでいってもらいたいものだ。


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