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vol.102


 クリエイション06『誤解』(高知県立美術館舞台公演シリーズ VOL.34 )
                '06. 6. 1. 高知県立美術館ホール

 演劇祭KOCHI2006の最後を飾ったアルベール・カミュ原作の『誤解』は、地元劇団の演劇ネットワーク・演会が、中島諒人の演出によって静岡県舞台芸術センターにて披露したものの、凱旋公演だったようだ。

 確かに去年観た『ヘッダ・ガブラー』よりも数段いい芝居で、どこか格調と言えるものさえ漂っていて、感心させられた。演出スタイルばかりが過剰に前に出ていた『ヘッダ・ガブラー』に比して、きちんと役者の個性の感じられ、抽象化されてない血肉的な身体性が活かされていて、頭でっかちな印象など、少しもなくなっているところが嬉しかった。そのことに最も貢献していたのは、母親役を演じていた中川玲奈[鳥の劇場]だったような気がする。台詞の発し方や動作に強い存在感が感じられた。

 母親は確かに、旅人が息子ジャン(いのうえたくみ[演劇集団S.T.H.])であることに気づいて殺害計画の中止を企図したようだったが、娘のマルタ(畠中昌子[演劇集団S.T.H.])は、むしろ誤解にかこつけて積極的に兄殺害を敢行したようにも見えたところが、なかなか強烈だった。自分たちを捨てて外に出て成功したことへの妬みというよりも、兄に出られたために残された自分が出ていきたくても叶わなかったとの想いが恨みとして積もっていたような気がする。その屈託のほどが滲み出るように表れていたから、単なる誤解には思えず、兄だと知ったうえで凶行に及んだように思えて仕方がなかった。

 ずっと台詞を封じられていた老召使(藤岡武洋[劇団MAC])に最後の端だけ台詞が用意されていて際立つ趣向は、『ヘッダ・ガブラー』のときのガブラー将軍にも通じるものがあるのだが、演出家の好むところなのか原作自体がそうなっているのかというようなことがチラリと頭をかすめたが、演出的なことで強く印象に残ったのは、それよりも最後にジャンの妻マリア(村上里美[フリ−])が舞台上手から真横に強い光を浴びていた姿だった。あの光には何が企図されていたのだろう。僕のなかで何らかのイメージを結ぶ着想には至らなかったけれども、そのあと今度はカウンターの一輪挿しの花に細く強い光が縦方向から当てられたことでの対照でさらに印象づけられ、妙に気になっている。

 帰宅後、当日もらった資料を読んでみると、本公演は、今秋、韓国で開催される第13回BeSeTo演劇祭に出演することが決まり、来春には香川県での第3回サンポート演劇祭にて招聘公演が決まっているようだ。先の『ヘッダ・ガブラー』を観た時の備忘録に「今回のプロジェクトが彼らにとって、また高知の演劇状況にとって、いかにインパクトのあるものだったかが偲ばれ、わくわくするような嬉しさを覚えた。」と綴ったことが、確かな形となって展開するに至っていることに最も感銘を受けた今回の公演だった。



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