Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》Theatre Lab


vol.124

'07.11.18. 薫的座
演劇センター'90 第50回公演『ら抜きの殺意』

 高知のアート情報のポータルサイトを目指している「Art in KOCHI(http://art.jpn.ch/)」
に「'00年11月に高知市民劇場の例会作品としてテアトル・エコーが演じた芝居を地元高知の演
劇センター'90が、改築前の現薫的座での最終公演として行うものです。なかなか見事な戯曲で、
珍妙な現代言葉の見本市の部分だけでも、乱れた言葉や誤用乱用、珍妙な略語隠語の類から、母
語やジェンダーの問題まで盛り込んで、よくもこれだけ集め、抽出し、再構成したものだと感心
してしまいます。それだけでも大したものなのですが、単に当世の言葉事情を面白おかしく見せ
るのではなく、人にとって言葉というものが何であり、どういう意味を持っているのかを的確に
捉え、敢然と訴えてくる力に溢れています。この戯曲は、第1回鶴屋南北賞を受賞しているよう
です。」との紹介文を書き込んであった舞台を、四日間の公演の最終日に観てきた。長らくホー
ムグランドにしてきた薫的座が改築されることになったのを受けて、公演チラシにも“現薫的座
最終公演”との文字が添えられていたのだが、この場所のイメージと演劇センター'90 のイメー
ジとは非常に緊密なものとしてあったので、敢えてそうしていたのだろうと思う。

 『ら抜きの殺意』の今回の公演については、テアトル・エコーの舞台を観たときの備忘録
(http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/shimin-gekijyo00.html)
に「ジェンダーの問題についての部分は、少しこなれようが足りないようにも感じた」と綴って
あった部分が、むしろ印象深く残る感じに仕上がっていて、僕としては、テアトル・エコーの舞
台を観たときよりも感銘を受けた。当時の備忘録には「女性たちや堀田(熊倉一雄)らについて
は、かなり意図的にカリカチュアライズしていた」と綴っているが、今回の芝居でも確かにそう
いう傾向はあるものの、その加減の具合がテアトル・エコーのときよりも、うまいバランスで仕
上がっていたのではないかと思う。堀田の妻を演じた帆足由美がいい感じで働いていたような気
がする。前回の公演『もやしの唄』でもいい味を出していた谷山圭一郎が、どこか通じたところ
のある伴篤男のキャラクターを魅力的に演じ、松田昭彦が持ち味を生かした海老名俊彦像を作り
上げていたように思う。

 それにしても、同じ演目を舞台に上げて、プロの劇団それも著名な劇団の公演よりも満足度の
高い芝居を地元の劇団が提供してくれているのはなかなか凄いことではないかとなんだか嬉しく
なった。


ヤマさんのライブ備忘録」の扉へ

無断転載禁止 掲載:アーク編集室